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2020年5月26日 (火)

埋蔵金伝説に関する身も蓋もない話

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 先日NHKで天草諸島近海の珊瑚を紹介する番組がありました。何となく見ていたんですが、数日後車を運転中突然思い出し、天草→天草・島原の乱→天草四郎の埋蔵金と勝手にセルフ連想ゲームが始まりました(笑)。ただ、私はすれているんで埋蔵金なんかあるはずもないなと結論します。こういう風に突如始まるのがブログの話題なんです(苦笑)。一応歴史記事のカテゴリーかな?


 今は無きヤフーブログの記事で天草四郎の埋蔵金に関して書いた記憶があります。当時はロマン優先だったので現実的考察はしなかったんですが、よくよく考えると食い詰めた農民の反乱でどう足掻いても財宝があるはずないだろうと考えるに至りました。肥後国天草郡は天草諸島が郡域です。江戸時代初期公称4万石ですが、その実態は2万石くらいだったそうです。天草を訪れた方ならご存知だと思いますが山がちで平野がほとんどなく私も2万石が納得できる数字です。天草・島原の乱勃発当時天草郡は肥前国唐津藩寺沢家12万石の飛び地になっていました。もともと8万石で関ケ原の功績で加増された天草郡4万石を入れて12万石ですから天草の住民には苛斂誅求が行われ苦しんだそうです。これが反乱が起こった原因です。ついでに言うと肥前国唐津地方も豊かなところではありません。肥前で一番肥沃なのは佐賀平野を擁する佐賀藩鍋島家。あんな狭い領地で36万石もありますからね。徳川幕府が認めた石高は軍役や様々な賦役を定めた表高ですから、実態が少なかろうが関係ありません。

 一方、天草の反乱軍が渡った肥前国島原半島も同様。こちらは島原藩松倉家4万石の領地。松倉家の場合はさらに最悪で、初代松倉重昌が4万石であるにもかかわらず幕府に気に入られれるため自ら10万石分の賦役を申し出ます。といってお金が天から降ってくるわけはありませんから領民に負担が行きます。島原藩の領民は重税を払えず餓死する者が続出したそうです。これでは反乱が起こらない方がおかしい。天草・島原の乱の原因はキリシタンへの弾圧だと言われますが、それ以前に領民は生きるか死ぬかの瀬戸際でした。私は幕府にも責任があると思います。寺沢家に加増するとき天草の検地をきちんとしていれば、松倉家が10万石分の賦役を申し出た時領民に負担が行くことを想像し断っていれば、反乱は起こらなかったと考えます。

 こういう実態を見てみると天草四郎を盟主とする反乱軍に埋蔵金を作り出す余裕などあるはずないでしょう。貧しい天草や島原で略奪したものだとしてもたかが知れています。兵糧にすら事欠く状態でどうやって財宝を持てるんですか!万が一埋蔵金があったとしてもごく少額でしょうね。歴史的価値はあるかもしれませんが…。



 有名な埋蔵金と言えば徳川埋蔵金もそうです。幕末に何十兆円もの莫大な財宝があれば幕府が倒れるかどうかの瀬戸際だったんですから軍備増強に使うでしょう。そして当時最新鋭の装備だった幕府歩兵隊を大増強し戊辰戦争も勝っていますよ。ボルトアクション式ライフルのシャスポー銃に近代的後装砲(当時のフランスにイギリスのアームストロング砲に相当する大砲があったかどうかは不明)で装備を固めれば圧勝です。シャスポー銃なら当時長州藩が持っていたミニエー銃より高性能ですからね。当時の日本ではオーバーテクノロジーと言っても良い新兵器でした。ミニエー銃は銃身にライフリングが切ってあるにしてもまだ前装銃。後装銃であるスナイドル銃はごく少数が行き渡り始めたばかり。後装でしかもボルトアクションなら発射速度もはるかに早いです。ナポレオン3世はよくこんな高性能銃を2000挺も贈ったなと感心します。後々植民地にしようという意図はあったのでしょうけどね。

 となると小栗上野介は無実の罪で殺されたことになりますね。徳川埋蔵金がもしあるとすれば幕末の江戸城ではなく、財政的に余裕があった初代家康の頃でしょう。家康は吝嗇家で有名で駿府城の倉は集めた黄金の重さで床が抜けたという話もあるくらいです。用心深い家康が子孫のために財宝を残していても不思議ではありません。となると一番可能性があるのは日光東照宮。歴代将軍が東照宮に詣でたのは神君家康を敬う意味もあったでしょうが、家康の残した遺産を必要な分だけ引き出す目的もあったのではないかと推理します。ですからこれも赤城山にあるはずがないと結論しました。


 可能性がある埋蔵金は秀吉の埋蔵金でしょうかね。大坂城に残した財宝だけでも方広寺大仏殿を建立し大坂の陣で10万人の浪人を雇うくらいできたんですから、多田銀山に埋められたとされる秀吉の埋蔵金はリアルですし、それこそ数十兆円規模だったかもしれませんね。

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