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2020年7月

2020年7月31日 (金)

韓国よ、この程度でビビるくらいなら8月4日からのパーフェクトストームは耐えられないぞwww

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【韓国YTN】少女に謝罪する安倍総理?・・・「日本、強い不快感」

 いつものごとく調子に乗った韓国が捏造慰安婦像に土下座する安倍総理の像を作りまた日本を侮辱しました。ところがこれまで絶対に事なかれ主義でスルーしてきた日本政府がすぐさま反応し、菅官房長官は「このようなことは外交儀礼上許されない。日韓関係に決定的な影響を与えることになる」と珍しく警告しました。菅さんの動画を見たんですが、冷静を保ちながらも怒りを抑えているような感じでした。

 おそらく初めての日本の反応にビビったのか、当事者の植物園側は「像は安倍総理を特定したものではない」と醜い言い訳をし、韓国政府も「外国指導者への冷遇考慮すべき」とコメントしました。結果植物園側は除幕式を延期したそうですが、おそらくほとぼりが冷めたころにやるでしょう。韓国政府も口だけで何もしないと思います。

 ただ安倍政権の厳しい反応を見て、8月4日からの日本企業の資産売却も何らかの言い訳をして延期するのではないかと危惧します。安倍総理像くらいでここまで反応するのですから資産売却したときの報復を考えると文在寅政権はビビっているのでしょう。が、愚かな韓国国民はそんな弱腰の政府を非難するでしょうから結局は資産売却も実行せざるを得ないし、安倍総理像も平気で設置するでしょう。逆に安倍政権側も厳しい対応をせざるを得ない。総理像程度でこれほど反応するんですから、資産売却後甘い態度を取れば整合性が取れません。こちらも日本国民から厳しい批判を浴びるでしょう。

 アメリカの指摘を受け、安倍総理はシナに近い側近を更迭したそうですし、二階幹事長のシナへの接近も指摘され二階派の処遇も注目されています。この状況に一番ビビっているは二階本人でしょう。そしてシナと韓国は同じ穴の狢ですから特亜そのものの排除につながったのだと思います。ですから安倍政権に媚韓派はいなくなったと見ます。日本企業の資産売却があれば金融制裁まで行くでしょうし是非行って欲しい。支払信用状の発行禁止だけで韓国経済は死滅します。戦後今までの反日侮辱行為を考えればこの際引導を渡すべきでしょう。それがかえって韓国のためにもなります。自国を助け我慢してきた隣国を侮辱したらこうなるという教訓を与えるべきです。韓国は余りにも日本を舐めすぎました。その責任を取るのは韓国自体です。

 8月4日の日本企業資産売却、絶対に文在寅政権は実行して欲しいですね。ここでヘタレたら韓国ではない。自称世界強国の韓国の誇りを見せてほしいですね。脱日本を達成してくださいな。まあ脱日本は脱自由民主主義陣営となってレッドチーム行き確定ですけどねwww未確認情報ですがシナとイランが同盟したそうですからレッドチームの仲間が増えたよ♪頑張って全世界と戦ってくださいな(笑)。

2020年7月29日 (水)

本屋を潰す気か?(呆)

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【西日本新聞】本屋を「好きでした」にしないために ヘイト本を並べた書店には行かない

 

 思想信条は別として本屋も商売ですから売れる本を仕入れ売れない本は店頭に並べないのが基本です。いつまでも売れない本で場所を取っていると売れ筋の本が仕入れられないし、その分儲けが出なくなり赤字も増えるばかり。これは別に本屋だけでなくあらゆる商売がそうだと思います。

 西日本新聞は朝日、毎日に匹敵する九州ローカルのアカ新聞として悪名高いですが、噛みつくところが違うのではないか?連中がヘイト本と非難する特亜関連本は売れるから本屋の店頭に並んでいるんです。一方、反日パヨクの願望を垂れ流した異常な本、綺麗事ばかりで現実一切無視のお花畑パヨク本は売れません。今はネット全盛の時代なので嘘が簡単にばれるからです。それでなくともアマゾンなどのネット通販に押され経営が苦しくなっているのに、パヨクの言い分に屈し偏向思想垂れ流しの本ばかり揃えたら本屋は潰れます。最悪の営業妨害だと思いますね。

 西日本新聞よ、悔しいならお仲間のパヨク本だけ揃えた本屋を作ったらどうだ?反日パヨク同士で共同出資して。おそらく三か月も続かないうちに潰れると思いますがね。誰が不快な思いまでしてパヨク本屋に行くかよwwwパヨクだけで買い支えてやれ。

 この本屋の件もそうですが、反日パヨクが戦っているのって現実なんでしょうね。普通の常識も理解力もないからこんな頓珍漢な事平気で書けるんでしょう。恥の概念すらない。あれ?恥知らずと言えばお隣の国とそっくり。ああ、そういう事か?日韓断交が間近ですから、足元の明るいうちに祖国に帰ったらどうだね?私は善意のつもりで勧めているんだが、これもヘイトだと言われるんだろうなwww

 皆さんはこの西日本新聞の記事、どういう感想を持たれましたか?私は哀れみすら感じますね。

2020年7月27日 (月)

8月4日は日韓関係にとって記念すべき日になるでしょう

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【日本政府】徴用工企業の資産売却に備え「報復措置」本格的に検討

 8月4日は韓国の最高裁にあたる大法院が日本の新日鉄住金(現 日本製鉄)に元自称徴用工への賠償を命じその公示送達の効力が発生する日です。韓国の文在寅政権は国際法を無視し「司法に介入できない」と嘘八百を並べ反日に利用する気満々ですから在韓日本企業資産の売却はこの日をもって開始されるはずです。8月4日は日韓断交が始まった日として記憶されると思います。

 韓国は、日本がいつものように脅し続ければ折れて謝罪と賠償をするだろうと甘く見ていたのでしょうが、今回の相手は日本政府ではなく企業。企業というのは損得の概念でしか動きません。ですから日韓請求権協定違反の徴用工判決で勝手に戦犯企業と決めつけられ不当に資産を搾取され続けられたらたまったものではありません。カントリーリスクになります。加えて韓国というのは魅力的な市場ではありません。簡単に損切りできるところです。

 その結果が韓国からの日本企業撤退となりました。まあ遅きに失した感はありますが、日本が韓国を見捨てたと分かると韓国に投資した外国資本も次々と逃げ出すでしょう。8月4日の差し押さえ資産売却は韓国の終わりの始まりとなります。日本政府もさすがにこの段階まで来たら報復せざるを得ない。報道で出ている報復措置はビザ発給の厳格化とか愚にもつかないものしかありませんが、金融制裁が本命でしょう。支払信用状の発行禁止もすべきです。これくらいしないと韓国は絶対に反省しませんよ。もっとも厳しい現実を知って急速にすり寄ってもらっても困る。すでに一線を越えているんですから。

 アメリカはシナとの全面対決を覚悟しました。日本をはじめ民主主義陣営も共同歩調を取り悪の帝国シナと対峙すべきでしょう。その際韓国はレッドチームに追い込むべき。トランプ政権はすでに韓国を見捨てたようにも見えますから、日本もそうすべきです。特亜の手先である二階、額賀、河村らは現在戦々恐々の状態だと思いますよ。トランプ政権はヒューストンのシナ総領事館がスパイ活動をしていたとして閉鎖命令を下しましたよね。先日その退去期限が来て当局が強制捜査を行い関係書類を多数押収したそうです。

 もしこれに二階らがシナのスパイ活動に何らかの関与をしていた証拠が出ればただではすみません。安倍政権は甘い対応しかできなくともアメリカが許さないでしょう。無事引退できれば良いが闇から闇へと葬られるかもしれませんね♪日本へもスパイ防止法制定の強い圧力が来ます。

 現在特亜とその手先どもは追い詰められつつあります。日本もこの流れについていかなければなりません。まずは韓国と断交、レッドチームに追いやる。そしてシナと南北朝鮮のレッドチームをアメリカはじめ全世界と協力して滅ぼす。こうしてこそはじめて日本の未来は明るくなると確信します。戦後敗戦利得者のマスゴミや売国野党も同時に叩き潰せるはずです。

 皆さんは、8月4日以降どのような展開が望ましいですか?

2020年7月24日 (金)

朝日新聞が反対という事は敵基地攻撃能力は正しいんだろうなwww

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【話題】朝日新聞が怒り「『敵基地攻撃能力』の保有は乱暴な論理の飛躍だ。北朝鮮のミサイルの脅威を除く決定打にはならない」

 黙って無視すればよいのに、下手に騒ぐから世間が認知するんですよ。朝日新聞は本当に愚かですね。イージスアショアで迎撃ミサイルのブースターが落ちるから反対だとほざいていたのは何処のどいつだ?一般常識からすればブースターが直撃して死ぬ天文学的確率より、核ミサイルを迎撃せず大都市に着弾して数十万単位の犠牲者が出るのとどちらを優先するかは子供でも理解できるはず。朝日新聞に代表される反日マスゴミ、売国野党が迎撃ミサイルはブースターが落ちて危険だと言うから弱腰の自民党でようやく敵基地攻撃能力取得が本格的に議論され始めたんです。

 本土で迎撃できないなら、敵がミサイル発射した瞬間、あるいは発射準備に入ったところで叩くしかないと考えるのは当然。普通の国はこちらを選択しますよ。まあこの期に及んでも自民党内の売国勢力や公明党などは敵基地攻撃能力に反対していますがね。こいつらは国賊です。

 朝日新聞の主張の真逆が正しいのは誰でも知っています。ということで敵基地攻撃能力が絶対正義です。我々真剣に国防を考える者は以前から専守防衛は現代戦では成り立たない。敵基地攻撃能力を持たないとまともな国防はできないと主張してきました。おそらく自衛隊も同じ考えでしょう。防衛の当事者ですからね。日本の国防を阻害するためにイージスアショアにすら反対してきたマスゴミ、売国野党のおかげでようやくまともな国になりそうです。

 JASSM-ER、JSMなどの航空機発射のスタンドオフ空対地ミサイルも着実に保有できそうですね♪ASM-3改の長射程化もできそうだし高速滑空弾の開発にも拍車がかかるでしょう。それもこれも売国奴どもが迎撃ミサイルに反対してくれたおかげ。特亜の指令なんでしょうが、藪蛇でしたなwww

 愚にもつかない理由で突如イージスアショア計画を中止した無能河野太郎防衛大臣もたまにはまともなことを言います。敵基地攻撃能力は敵ミサイル発射基地だけでなく、それを命令する指揮系統も範囲に含まれると発言しました。おそらく防衛省のレクチャーを受けたんでしょうが、現代戦の感覚からすると当然です。これを拡大解釈すると北朝鮮なら実際に発射を命令する金正恩(生きてるかどうか知らんが…)の爆殺も含まれますよ。まあ政府も自民党も正直には言わないでしょうがね(苦笑)。

 売国勢力はイージスアショアに反対せずお茶を濁していれば専守防衛という机上の空論で政府を縛れたのにね。キジも鳴かずば撃たれまい。自業自得という言葉を贈りましょう♪いずれ売国奴どもに天誅が下ることを切に願います。

2020年7月23日 (木)

日本のマスゴミよ、恥を知れと言いたい

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【BBC】駐英中国大使、BBC番組でウイグル人の強制収用否定 証拠ビデオを見せられ「何の映像か分からない」と白を切る 6分13秒

 

 イギリスはこれがあるから侮れないんです。日本のように特亜の工作を受け完全に日本を棄損するように働くマスゴミとは大違いで、正常なジャーナリズムが機能していると言えます。それにしてもBBC、やりましたね。ウイグル人権弾圧の証拠ビデオを駐英シナ大使に見せつけるなんて。大使の苦しい言い訳も酷い。こう言わざるを得ないんでしょうが、イギリスの視聴者がどちらを信じるか一目瞭然です。

 日本では絶対にできないでしょう。日本のマスゴミ関係者よ恥を知れと言いたいですが、在が支配しているという日本のマスゴミには恥という概念自体無いんでしょう。日本がいかに遅れているか、歪んでいるかBBCの報道姿勢を見て改めて痛感しました。日本のマスゴミは弱い立場の国にはこれが平気でできるんです。湾岸戦争の時、日本とは直接関係のないイラクのアルリファイ駐日大使に対しては同じような居丈高な態度で接しました。ところが現在進行形で日本を侵略しているシナや、戦後ずっと反日行為を続けている敵である韓国には絶対にこういう態度は取りません。それどころが靴を舐めんばかりの卑屈な態度で阿諛追従を繰り返し異様に忖度した報道か、事実をねじまげ特亜の都合の良い方向に視聴者を騙す悪質な報道ばかり。

 現代にネットがあって本当に良かったと思いますよ。以前ならこういった事実はマスゴミが隠蔽するから絶対に出てきませんでしたからね。そして海外の報道と比較できる。日頃綺麗事ばかりほざいている日本のマスゴミは、ウイグルやチベットで現在進行形で続いている人権弾圧には絶対に触れないでしょう。本当に屑だと思います。ネット環境のない情報弱者の老人は未だにシナが友好国だと思い込んでいるんでしょうね。尖閣諸島に現在進行形で侵略していることも知らないでしょう。

 我々ネット環境にある者は、BBCのような公平公正な報道を拡散し日本のマスゴミの醜悪さを知らせ日本国民が反日売国マスゴミ排除の声を上げだすまで努力しなければいけません。そして絶望的ではあるが、一部の良識あるマスコミ人(おそらく皆無だとは思うが…)の自浄作用に期待しましょう。

 何度も繰り返しますがBBCグッジョブ、日本のマスゴミよ恥を知れと言いたいです。皆さんはBBCの報道、どのような感想を持たれましたか?

2020年7月18日 (土)

韓国よ、それ全く交換条件になってないんだが

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日本のNGF計画に韓国が参加させろとゴネ始めて、図々しい交換条件を提示中

 どうして韓国のF-35Aの整備を日本でする代わりに日本が韓国の糞ゴミ練習機を買ってやらないといかんのだ?(呆)しかも日本のF-3計画に韓国も混ぜろだって?臍で茶沸かすわwww

 もともとF-35の重整備拠点は北太平洋では日本、南太平洋ではオーストラリアって決まっています。日本の重整備拠点は航空自衛隊のF-35A、F-35B、在日米軍のF-35A、F-35B、(もしかしたらF-35Cも)、在韓米軍のF-35A(配備されたらの話)、これにシンガポールまで含まるのかな。アメリカは韓国のF-35Aも日本で重整備受けろと言ってるのに勝手に火病って「敵国の日本で重整備するわけにはいかないニダ」とほざいてアメリカ本土かオーストラリアで受けるって決めたんでしょ?まあ普通に考えたらコストと手間で現実的じゃないのはさすがに理解してるわけだ。

 だから交換条件が発生するはずがない。日本は別に韓国のF-35Aなど知ったことではありません。修理費も踏み倒しかねませんからね。万が一日本で重整備してやるにしても完全前金制、リスク加算で3倍くらい費用を請求したいくらいです。それに日本のT-4が老朽化したとは言っても、何が悲しくて韓国のボロ練習機であるT-50を買わないけないのか(呆)。練習機ならアメリカからT-7を買うよ。韓国製はいつ落ちるか分からないし、しょっちゅう故障してまともに運用できないでしょうに。

 一番呆れ果てたのがこれ。日本のF-3計画に韓国を混ぜろだ?日本の技術盗む気満々じゃないか!ふざけるのも大概にせい。そもそも韓国には自称最新鋭戦闘機KF-Xがあるじゃないのwwwエンジン供給の目途はついたようだけど、アビオニクスはどうするの?イスラエル製を採用してもミサイルはあるのかね。だいたい敵国に日本の革新技術を公開するわけないじゃないか。馬鹿か?

 日本としては韓国のF-35A重整備はお断り。T-50も買わない。F-3共同開発など以ての外。おととい来やがれ!と言いたいですな。皆さんは韓国の舐めた態度、どのように思われますか?

2020年7月15日 (水)

司馬懿の先祖と司馬遷の先祖

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 私(鳳山)の悪い癖は一つの記事を書くと関連項目を調べないと気が済まなくなることです。ですから熱中しているときの集中力は凄いんですが、熱しやすく冷めやすいのですぐ忘れます。支那史上の有名人の子孫、先祖を調べていくうちの関連話です。歴史に興味のない方は全く面白くないと思うのでスルー推奨です。

 過去記事で秦の将軍王翦(おうせん)の子孫が漢代の剛直の士王吉でその末裔は魏晋南北朝時代の門閥貴族琅邪王氏になったことが分かりました。そして支那史上で最も有名な書聖王義之が登場します。では王義之と並び称される書家・詩人である謝霊運はどうだったのでしょうか?謝氏に関しては先祖が分かりませんでした。ただ陳郡謝氏は琅邪王氏と共に魏晋南北朝時代何代にもわたって宰相を出した超名門の門閥貴族でしたので、もともと大地主だったのでしょう。陳郡は現在の河南省周口市一帯。八王の乱から始まる中原の混乱を避け江南に一族郎党で移り住んだのでしょう。このあたり山東の琅邪王氏と似ていますね。

 ちなみに王義之の大叔父には東晋の建国を助けた宰相王導がおり、謝霊運の祖父は淝水の戦いで東晋を滅亡から救った将軍謝玄で、謝玄の叔父が宰相謝安です。陳郡謝氏と琅邪王氏は何代にもわたって通婚を繰り返しており南北朝時代の南朝政権は王氏、謝氏に代表される有力貴族の連合政権でした。日本史的感覚から言うとただの貴族にそれだけ力があるはずがないと思われるかもしれませんが、支那の貴族、豪族は桁違いで広大な荘園を持ち部民を動員すると2~3万人かそれ以上の私兵を持っていました。イメージ的には江戸時代の大名家に近いかもしれません。その中で王氏、謝氏は加賀百万石前田家や薩摩七十七万石島津家レベル(あるいはそれ以上か?)だったと思います。

 では三国志で諸葛亮のライバルだった司馬懿はどうでしょうか?司馬懿の一族は河内(かだい)郡温(現在の河南省のうち黄河以北の土地)出身でした。調べてみるとその先祖は戦国時代趙の将軍だった司馬尚。名将李牧と共に滅びゆく趙を秦の侵略から守り抜き戦いますが、秦の賄賂を受けた趙王の側近の讒言で将軍職を解かれます。李牧は讒言を信じた趙王の命で自害しますが、司馬尚は上手く逃亡に成功したようです。子孫の司馬懿に繋がる要領の良さですね。司馬卬(しばごう)は司馬尚の息子で、秦末の混乱期に台頭、項羽により河内地方を中心とする殷王に封じられました。司馬一族が河内に定住したのはこの頃でしょう。その後、司馬氏は漢朝に仕え三国時代に司馬懿、司馬師、司馬昭を輩出、司馬懿の孫司馬炎の時代に主家である魏を滅ぼし晋(西晋)を建国しました。

 司馬氏といえばもう一人有名人がいます。不朽の名著史記を記した司馬遷です。先祖を調べると秦の中期、蜀王国を滅ぼした将軍司馬錯(しばさく)でした。これは意外でしたね。ちなみに蜀王国は伝説の三星堆文明を滅ぼした望帝杜宇の末裔で中原とは違う独自の文明を築いていました。民族も漢民族ではなくおそらくチベット系の羌族ではなかったかとも言われます。

 司馬とはもともと軍政を司る役職で、それを姓としたものです。日本で言えば三善氏が問注所氏を称したようなものでしょう。代々軍人を輩出しそうな家系なのに司馬遷のような文人が出るんですから面白いですね。もっとも司馬錯のさらに先祖は周代記録係だった司馬氏だったそうですから、文系の血も流れていたのかもしれません。司馬遷の父司馬談も太史令(朝廷の祭祀、文書の起草や記録を司る役職)だったそうですから、漢代は文官の血が強まっていたのでしょう。

 歴史上の有名人の先祖や子孫を調べると本当に面白いですね。

2020年7月13日 (月)

竇猗房(とういぼう)、数奇な運命の皇后

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 宮城谷昌光氏の短編小説に『花の歳月』という作品があります。私の中では『鳳凰の冠』と共に宮城谷作品では五本の指に入る傑作短編だと評価しています。宮城谷さんはどんな主人公でも爽やかに書きすぎる悪癖がありますが、この二作に関してはそれが成功しています。花の歳月も全編に爽やかな風が吹き渡る美しい作品です。

 花の歳月の主人公竇猗房(とういぼう 不明~紀元前135年)は実在の人物で前漢三代皇帝文帝の皇后になった女性でした。花の歳月の元ネタは司馬遷が記した不朽の名作、史記・外戚世家です。史記によると竇猗房は現在の河北省南東部から山東省北西部にまたがる清河郡観津に生まれました。竇家は名家ではあったものの秦末から楚漢戦争の影響で没落し猗房の生まれたころは貧しい生活を送っていました。

 猗房には兄長君、弟広国がおり、弟広国とは特に仲が良かったそうです。幼少期二人で遊びまわりある時広国が姉のために桑の実を取ろうと木に登り落ちました。痛みにこらえながらも広国は姉に桑の実を渡し二人でそれを食べ口の中が真っ黒になって笑いあったというエピソードもあります。

 漢の高祖劉邦が天下を統一しようやく世の中に平和が戻りました。猗房は近所でも評判の類まれなる美少女だったといわれ、竇家では彼女を後宮の官女に差し出すことで貧乏生活を免れようと考えます。竇家は落ちぶれたとはいえ名門だったので後宮入りはすんなり決まりました。何も知らない猗房は両親に言われ長安に出発の日が来ました。弟広国は大好きな姉と別れるのを嫌がり泣いたそうですが、猗房は広国の髪を洗い優しく櫛で整え最後の別れを惜しみます。

 こうして後宮にあがった猗房ですが、彼女の知らない所で悲劇が起こりました。弟広国が何者かにさらわれ行方不明になったのです。竇家は必死に探したそうですがついに見つかりませんでした。情勢不安定な土地では誘拐が日常茶飯事だったのでしょう。猗房は後宮にあがったものの、その他大勢であることに変わりなく無為の日々を過ごします。当時高祖劉邦は亡くなり、呂太后の専横が始まっていました。ある時、各地に封じてある王(劉邦の息子たち)に五人ずつ官女を賜ることが決まります。猗房は仲の良い宦官に故郷に近い趙王如意のもとに送ってくれるよう頼みます。ところが宦官はそれをすっかり忘れ、趙ではなく辺境の代行きの名簿に猗房を加えてしまいました。

 歴史に詳しい方ならピンと来たと思いますが、趙王如意の母は劉邦が最も寵愛した戚夫人。そのため呂太后の憎しみを受け惨たらしい方法で殺されます。その息子である如意も毒殺されました。呂太后は戚夫人の両手両足を切り落とし目を潰し便所に落として人豚と呼んで罵ったそうです。これを見た息子の恵帝は優しい性格だっただけに衝撃を受け、以後酒色におぼれ早死にします。宦官はそういう宮中の空気を察し趙に猗房を送れば危ないと思って名簿から外したのかもしれません。猗房は知らない所でまたしても命を免れました。

 諸王に送り込まれた官女も決して歓迎されませんでした。呂太后は呂氏一族が天下を奪うために劉氏に所縁のある諸王の落ち度を見つけ取り潰そうと虎視眈々と狙っていたからです。猗房が送り込まれた代王、劉邦の四男劉恒は楚の母薄夫人がほとんど劉邦に愛されなかったため呂太后も警戒していませんでした。宦官は代なら安全だと思って猗房を名簿に加えたのでしょう。薄夫人の母は戦国七雄の一つ魏の公室に所縁の人物でしたが、国が滅び薄という庶人と結婚し薄夫人を生みました。成長すると秦末の混乱期群雄の一人西魏王魏豹の側室として後宮に入れられますが、美しくはあっても大人しい性格だったため魏豹にほとんど顧みられませんでした。その後魏豹は劉邦に滅ぼされ薄夫人も戦利品としてそのまま劉邦の後宮に入れられます。

 ある時、薄夫人は仲の良い側室たちと誰が一番早く劉邦の寵愛を受けるか話し合ったそうです。ところがいつまでも薄夫人は無視され続け、側室たちが「あの人だけは陛下の寵愛を受けられなかったね」と笑い合っていたそうです。これを聞いた劉邦は哀れに思いその日薄夫人を召し出します。そしてただ一度の寵愛で薄夫人は身ごもりました。その時の子供が代王劉恒です。劉恒を代王にしたのも、代は匈奴に近い危険な土地で死ぬ可能性も高かったため劉邦にほとんど愛されなかった劉恒に白羽の矢が立っただけでした。薄夫人は、息子が代に出立すると自分も同行します。おそらく母子ともども代の地で生涯を終える気だったのでしょう。彼女にとって息子だけが唯一の生き甲斐でした。

 最初、薄夫人も代王劉恒も呂太后から送り込まれた官女たちを警戒します。自分たちを監視するためのスパイと思ったのです。ところが猗房は聡明で誠心誠意仕えたためいつしか劉恒は心を開くようになります。そして五人のち猗房だけを寵愛しました。薄夫人にも気に入られようやく幸せを掴めたのでしょう。間もなく二人の間には娘と二人の息子が生まれました。

 時代は猗房の知らない所で大きく動きます。各地に封じられた劉邦の息子たちは呂氏一族の圧迫政策である者は殺され、ある者は落ち度を咎められ取り潰されました。そんな中、呂太后が亡くなります。漢朝創業の功臣陳平、周勃らは彼女の死をじっと待っていました。そしてそれを確認すると一気に動き出します。兵士を率いた周勃が宮中に乗り込み、呂氏一族をことごとく誅殺しました。このクーデターは成功しましたが、後を継ぐ皇帝を誰にするかで紛糾します。群臣会議の結果、外戚が呂氏一族のように専横の可能性がない代王劉恒が選ばれました。

 都から皇帝就任を懇願する使者が来ても、呂太后の罠ではないかと劉恒も薄夫人も警戒したそうです。しかし何度も来る使者に根負けしてついに決断します。こうして劉恒は長安に帰還し即位しました。すなわち前漢第三代皇帝文帝です。実は二代恵帝と文帝の間に二人の幼い皇帝がいるのですが、これは呂太后が立てた傀儡皇帝ですので正式な皇帝には数えません。

 夫劉恒が皇帝に即位したので、猗房も皇后に立てられました。新しい皇帝が立った事、その皇后竇氏は清河郡観津の出身であることを聞いた若者がいました。驚いた若者は、「もしかしたら自分の姉かもしれない」と主人に告げます。広国でした。実は広国は誘拐され奴隷に売られていたのです。十余家に転売され各地を転々としました。河南省の宜陽にいた時、炭作りをしていたそうですが休憩中突如崖が崩れ仲間の奴隷たちが生き埋めになります。一人離れた場所で休んでいた広国だけが助かりました。この奇跡に自ら占ってみると『まもなく侯になる』と出ました。広国は奴隷の自分が侯になれるはずがないと一笑に付します。

 猗房が皇后になった時、広国は偶然にも同じ長安にいました。新皇后が自分の姉かもしれないと主人に話すと、驚いた主人は広国を奴隷から解放し朝廷に訴え出ます。普通奴隷を使役するような者は悪人というイメージが強いですが、この主人は部類の善人だったのでしょう。意地悪な見方をすると皇后の縁者を奴隷としてこき使っていたと発覚すると重い処罰をされるのでそれを恐れたという見方もできますが、まあここでは善人として話を続けましょう。

 猗房は訴えを聞いて弟広国に違いないと思います。しかしこういう天一坊のような山師は当時から数多く居たようなので、念のために文帝自ら広国を引見して話を聞くことにしました。広国は堂々と皇帝の下問に答え幼少期の桑の実のエピソード、猗房が出立の時自分の髪を洗ってくれたことを話します。帳の影で聞いていた猗房は思わず駆け出しました。大粒の涙をうかべ「広国、広国」と抱きかかえます。広国もこれに応え号泣しました。この光景を見ていた群臣たちで涙を流さなかった者はいなかったそうです。

 こうして広国は皇后の弟として侯に立てられました。占いは当たったのです。陳平、周勃らは竇氏の兄弟が専横することのないように賢者を教育係にしました。そのおかげで、広国も後に召し出された兄長君も謙虚で慎ましい君子に育ったそうです。文帝は名君として名高い皇帝ですが、それには皇后猗房や、補佐をする竇兄弟の力もあったと思います。猗房の生んだ長男劉啓は後に第四代景帝として即位します。

 ただ晩年病気で失明した竇太后(猗房)はわがままで息子景帝を困らせたそうですが、国家を傾かせるほどではなかったのでこの二代の御代は文景の治と言って漢王朝が善政で良く治まった時期として称賛されています。

 

 

2020年7月10日 (金)

昌平君の数奇な運命

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 支那戦国時代、楚の滅亡関連話の一つです。

 

 秦の始皇帝が天下統一するころ、秦の重臣に昌平君(紀元前271年~紀元前223年)という人がいました。昌平君は称号で本名は熊啓。熊という氏から分かる通り楚人でした。では楚人がどうして秦の重臣になれたのか疑問に思われる方もいると思います。実は、昌平君は秦に人質となった楚の太子完の子供でした。秦の昭襄王(在位紀元前306年~紀元前251年)は人質となった楚の太子完に自分の娘を与え正室にしたのです。これを見ても、秦は人質とはいえ粗略に扱わなかったことが分かります。

 

 昭襄王は秦王政(後の始皇帝)の曾祖父に当たりますから、政にとって昌平君は大叔父になるわけです。昌平君の父太子完は紀元前263年父であった楚の頃襄王が病に倒れると秦に無断で帰国します。脱出に成功した完は即位して孝烈王となりました。この時昌平君は母である秦の公女と共に残されます。当然激怒した秦でしたが、楚は代わりに頃襄王の別の庶子を人質に送ってきたので丸く収まります。この庶子も秦で養育され昌文君となりました。

 

 実父に見捨てられた昌平君でしたが、同じ楚王室出身で叔母に当たる華陽夫人に養育されます。華陽夫人は昭襄王の太子で後継者となった安国君(のちの孝文王)の継室となっていました。昌平君は父方で楚の王室と繋がり、母方で秦王室の血を引いていたのです。楚人とはいえ秦で生まれ成長したので意識的には秦人だったと思います。

 

 昭襄王の孫にあたる荘襄王(孝文王の庶子)の時代に初めて出仕したそうです。紀元前246年秦王政が即位すると御史大夫(三公の一つで諸侯の監察を行う)になりました。紀元前238年嫪毐(ろうあい)の乱がおこると叔父昌文君と共に鎮圧に尽力、紀元前237年乱に連座して相国呂不韋が罷免されると右丞相に任命されました。

 

 ここまで見ると順風満帆の人生ですが、紀元前226年楚の攻略方針を巡って王翦(おうせん)を擁護したため、秦王政の不興を買い罷免されます。王翦は楚の平定に60万人の兵力が要ると主張し、20万人で十分だと主張する李信や蒙恬と対立したのです。王翦と共に職を解かれた昌平君ですが、秦が楚から奪っていた領土陳(河南省周口市淮陽区)の民が動揺したため楚に所縁のある昌平君に鎮撫の役目が与えられました。あくまで個人的感想ですが、秦王政や側近の李斯(後に丞相となる)は楚人である昌平君を心の底からは信用していなかったのではないかと思います。鎮圧できれば良し、鎮圧できず陳人に殺されても構わないというのが本音だったかもしれません。

 

 ところが運命はここで大きく転換します。楚攻略に20万人の兵力で十分と大言壮語して出陣した李信や蒙恬らは楚の名将項燕(項羽の祖父)の奇襲を受け大敗するのです。項燕は勝利の勢いをかってかつての旧都だった陳までも奪回します。昌平君は進退窮まりました。秦の法律では、たとえ不可抗力であっても任務を遂行できないときは死刑が待っていました。この過酷な法律が庶民の怨嗟の的となり各地で反乱が起こって秦滅亡の原因となるのですが、李斯たちがこれを狙っていたとすればかなり狡猾です。

 

 昌平君は一か八かの賭けにでます。陳を奪回した項燕将軍の元に出頭するのです。項燕も昌平君が楚王室所縁の人物であることは知っていました。ただ現在の楚王である負芻(ふすう)はクーデターで王位を奪っていた為、彼のもとに行けば殺されるだろうと危惧します。そこで項燕は昌平君を食客として匿う事にしました。

 

 秦では李信、蒙恬らが失敗したので秦王政は改めて王翦に出馬を請います。王翦はかつての主張通り60万の兵を与えられ出陣しました。大軍に兵法無しと言われる通り、項燕率いる楚の正規軍は多くても10万。楚に勝ち目はありません。前記事では史記の記述通りこの時項燕が敗死し楚が滅亡したと書きましたが、本当はもう一悶着あったみたいです。

 楚各地で秦の扇動で反乱が起き、不安になった楚王負芻は項燕率いる楚の正規軍を呼び戻します。この時秦軍の追撃を受け壊滅したところまでは同じです。ただ、この時は項燕も昌平君も戦死しておらず脱出に成功したと言われます。正規軍が壊滅したため楚王負芻は秦軍に降伏、春秋時代以来の歴史を誇る南方の大国楚は滅亡しました。王翦は60万人の将兵を養うため楚各地で無理な兵糧調達を繰り返し楚人の反感を買います。

 この様子を見ていた項燕は紀元前223年残兵を集め反秦の挙兵をしました。秦の過酷な占領政策で怒りが沸騰していた楚人が多数参加したそうです。項燕は楚統合の象徴として昌平君を楚王に祭り上げます。この時の昌平君の気持ちが分かりませんが、やけっぱちになっていたという説、あるいは祖国楚の民が苦しむことに我慢できず義憤にかられ立ち上がったなど様々な説が言われます。

 

 ただ所詮は寄せ集めの兵。いくら項燕が名将とはいえ秦の正規軍に敵うはずもなく挙兵は失敗、乱戦の中昌平君は戦死しました。楚人でありながら秦で成長し、最後は祖国楚の地で散った昌平君、本当に数奇な運命でした。項燕もこの時自害したと伝えられますが、項燕は楚人の希望となり伝説となりました。一度は生き延びるのに成功したことから、「項燕将軍は死んでいない。時が来れば再び立ち上がり我らが楚国のために戦ってくれる」という声が無くなることはありませんでした。

 

 

 後年、項燕の子項梁と孫項羽が反秦の挙兵をしたとき多くの楚人が参加したのは救国の英雄項燕伝説のおかげだったと言えます。

 

 

 

項氏と王氏の因縁

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 久しぶりの世界史記事、マニアックな話題なので興味ない方はスルー推奨です。

 

 漢の高祖劉邦と天下を争った項羽。劉邦も項羽もともに戦国七雄の一つ楚国の出身で最初は協力して宿敵秦を滅ぼしました。楚人は祖国を滅ぼした秦に深い恨みを抱き「たとえ三戸(非常に数が少ない事の例え)となろうとも、秦を滅ぼすのは楚たらん」と復讐を誓いあいました。

 

 ではなぜ楚人が秦に対し深い恨みを抱いたかというと、占領政策が過酷だったからです。そしてそれを行ったのは秦の将軍王翦(おうせん 生没年不詳)でした。王翦は秦王政(後の始皇帝)の命令で楚を攻撃します。最初秦王政は若い将軍李信、蒙恬に20万の兵を与えて楚を攻めさせましたが、楚の将軍項燕(項羽の祖父)に半分以下の兵で奇襲され大敗しました。激怒した秦王政は名将と名高かった王翦に今度は60万という大軍を与えて遠征させたのです。

 

 楚はかつての覇権国ですが、連年秦に攻められこの時すでに本拠地の湖北、湖南を失って全盛時の半分以下の領土に落ちぶれていました。首都郢(えい 湖北省荊州市)は秦将白起によって陥落させられ、何度かの遷都の後寿春(安徽省淮南市)が最後の首都になります。楚は連年の戦で兵役人口が激減し項燕が率いた楚軍も10万もいなかったと伝えられます。

 

 俗に大軍に兵法無しと言います。しかも今回秦軍を率いるのは名将王翦。王翦は項燕に付け入る隙を与えないため防備を厳重に固め楚軍の挑発を受けても動きませんでした。攻めあぐむ楚軍。そうしておいて秦は楚の宮廷に賄賂をばら撒き国王の近臣を抱き込みます。楚王は近臣の進言を受け項燕に撤退を命じました。この時楚の各地に反乱が起き(これも秦の謀略)、首都が危なくなっていました。項燕といえど国王の命令には逆らえません。仕方なく撤退の準備に入りました。項燕は秦軍が追撃するのを恐れ慎重に準備を進めますが、内通者が出てこの情報が秦軍に漏れます。これを見ても楚の命運が尽きたと分かりますが、撤退中を秦軍に襲い掛かられ項燕は壮烈な戦死を遂げました。

 

 楚の正規軍が壊滅したわけですから、首都寿春は簡単に落ち楚は滅亡します。ただ楚の領土は広く王翦は各地に軍を派遣し全土を平定しなければいけなくなりました。記録では王翦は会稽(浙江省)まで行ったとありますからこの時初めて海を見たのかもしれません。軍事に詳しい方なら当然想像つくと思いますが、紀元前3世紀頃の世界は兵站が非常に脆弱でした。60万人もの兵士を養うには莫大な兵糧が要ります。秦の本拠地である現在の陝西省から楚のある安徽省、江蘇省、浙江省まで長大な補給線を維持するのは困難、というよりほとんど不可能です。

 

 秦軍は自軍を維持するために占領地で兵糧を挑発、はっきり言えば略奪したと考えられます。ただ自国防衛のためにすら10万人の兵士しか集められなかった楚は連年の戦争で疲弊し住民の食糧すら満足になかったと思います。そこへ無理やり秦軍が兵糧を挑発するのですから、暴力や殺人が各地で起こったはず。まとまった兵糧を得るために一つの町や村の住民が秦軍に皆殺しに遭ったケースもあったでしょう。そりゃ恨みが深くなるのも当然です。

 

 皮肉にも秦軍の行った過酷な占領政策が楚人の復讐の原動力になり、秦末の混乱期に項燕の子項梁、孫の項羽が義兵を起こした時数多くの楚人が参加したのも頷けます。王翦は名将ではあっても人の心までは読めなかったようです。あるいは独裁者始皇帝の命令は絶対でそれを遂行するためには後のことは知ったことではないと思っていたのかもしれません。

 

 時代が流れて秦末、楚の項羽は反乱軍内で指導的立場を確立し秦本土に向け軍を動かします。この時それを迎え撃ったのは王翦の孫王離でした。互いの祖父、項燕、王翦とは立場が逆になります。項羽はシナ史上でも一二を争う軍才を持っていたため、王離率いる秦軍は簡単に撃破されました。王離は降伏したそうですがその後の記録がありません。項羽の性格上祖父の仇を許すはずありませんから処刑したと思います。

 

 その後、秦は章邯(しょうかん)率いる20万の主力軍も項羽に降伏したため滅亡は時間の問題になりました。項羽の恨みはすさまじかったのでしょう。降伏した秦兵20万人は就寝中夜襲を受け唯一空けてあった逃げ口に殺到した所、そこは断崖絶壁の崖でした。次々と落ちる秦兵の重みで先に落ちた兵士は圧死します。秦兵の最後の一人が谷底に落ちたのを確認すると、項羽は楚兵に命じ土を被せ穴埋めにしました。あまりにも残酷な処置ですが、かつて秦軍が楚の占領地で行った蛮行を忘れていない楚兵にとってはようやく復讐できたという気分だったかもしれません。

 

 ただ一つ指摘しておかないといけないのは王離が率いた兵士は秦の正規軍だったのに対し、章邯率いた最後の秦軍は兵士の数が足らないため徭役で来ていた民衆や罪人を解放し兵士にしただけでした。ですから純粋な秦人というより大陸各地から集められた民衆だった可能性が高いです。中には楚から徴発された人もいたかもしれません。とばっちりで殺された兵士は気の毒ですよね。穴埋めするなら王離の兵にすべきでした。結果論ですが…。

 

 さらに時代が下って漢代。王離の子孫に王吉という人物がいました。彼が司馬遷の史記を読んだかどうか知りませんが、漢の高祖劉邦も楚出身だったため敵であった秦の関係者は悪しざまに書かれます。漢代になっても秦にネガティブイメージしかなかったかもしれません。司馬遷が秦を虎狼之国と評したのもそういった世間の気分を反映したものだったのでしょう。王離に至っては三代に渡って秦の将軍を務め数多くの人を殺してきたため人々の恨みを買い負けるのも当然で因果応報だとすら司馬遷は書いています。

 

 こういう世間の気分に王吉は反発したのでしょう。勉学に励み直言の士として世間に名を上げました。王吉の子孫は後に書聖王義之を出した琅邪王氏、三国時代司徒王允を出した太原王氏となったそうです。新を建国した王莽の王氏はこれとは別系統の魏郡王氏。戦国七雄の一つ斉の公室田氏にルーツを持ちます。

 

 有名人の子孫を調べると面白い発見ができますね。

2020年7月 7日 (火)

川辺川ダム建設中止に追い込んだ連中は今回の豪雨被害の責任を取って欲しい

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【熊本豪雨】球磨川氾濫…蒲島知事「“ダムなし治水”できず悔やまれる。改めてダムによらない治水を極限まで検討する必要を確信」

 

 

 先日来続いてきた九州南部の集中豪雨。比較的被害が少ないはずの私の住む熊本県北部ですら酷い土砂降りだったので数十年に一度の大豪雨に見舞われた熊本県南地区がどれほど被害が出たか想像もできません。ある人が「もし川辺川ダムが建設されていたら今回のような大水害は起こらなかったか、起こったとしてもここまで酷い被害は出なかったのではないか?」と指摘しています。(川辺川は球磨川の支流。清流で有名)

 

 もちろん私は治水や建築工学に疎いのでダムがあった時にどれだけ被害が軽減できるか判断できません。ただ同じく球磨川水系にある市房ダムの存在で被害が限定できたという意見もあります。私は素人なので事実だけを指摘すると、川辺川ダムを群馬の八ッ場ダムと同様公共事業のスーパー無駄遣いと断じて事業仕分けで中止に追い込んだのは当時の民主党鳩山政権。国交大臣は後ろから前はらの前原誠司でした。その後八ッ場ダムは自民党安倍政権に戻って工事再開、2019年台風19号被害の際八ッ場ダムのおかげで被害が限定的に済んだという声が上がりました。明暗くっきり分かれたわけです。

 

 そして当事者である熊本県側の責任者は現知事である蒲島郁夫。東京都知事選にも出馬した副知事小野泰輔でした。蒲島は学者出身で五百旗頭や姜尚中と仲が良いリベラル、悪い言葉で言えば反日売国奴。その蒲島に抜擢された小野も同じ思想であることは間違いありません。心ある熊本の有権者は蒲島が嫌いでしたが、対抗馬が愚かにも立憲民主党を中心とする売国野党連合に支援を頼んだため血の涙を呑んで投票したのです。もちろん私もその一人。

 

 ですから蒲島県知事には今回の豪雨被害の犠牲者が多数出たことの責任を感じてほしい。恥を知る日本人なら。そして「清流の鮎を守れ」とダム建設に反対してきた自称環境保護団体、その実態は反日左翼どもも今回の豪雨被害で亡くなられた遺族に見舞金でも出したらどうだと憤りを覚えました。主義主張は自由で憲法でも保障されていますから何を言っても構いませんが、その結果起こった被害に関して責任を取れと強く言いたいです。そして蒲島は責任を免れるためこの期に及んでも『ダムによらない治水』などと世迷言をほざいています。こいつ本当に日本人かと疑いすら抱きますね。もし私が蒲島の立場だったら災害復興に命がけで挑みある程度目途がついたら責任を取って自害しますよ。リベラルは綺麗事ばかり言って責任を取らないから卑劣なんです。

 

 ダム建設の是非、人命より自然環境優先など様々な意見があるでしょう。しかし私はコンクリートが人を守ると思っているし、一見無駄に見えてもいざとなった時人命を守るために必要な公共事業はあると考える立場ですから、今回の豪雨被害と人命軽視のリベラルどもの綺麗事に非常に怒りを覚えました。皆さんはどのような感想を抱かれましたか?

2020年7月 5日 (日)

日本にはスパイ防止法も情報機関も絶対必要です

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公安協力者の摘発により日本の対中諜報網が壊滅的被害を被ったと専門家が暴露

 

 捕まった人には厳しい言い方ですが公安協力者程度はスパイのうちには入りません。そもそも何で捕まったかというと日本国内にシナの協力者がいるからでしょう。これこそ本当のスパイ。明らかにスパイと分かる(しかも隠そうとしない!)自民党の大物政治家もいますからね。一階だったかな?三階だったかな?馬鹿村かアホ村か?ぬか味噌賀か抜け作賀か?どうしてこういう連中がのざばっているかというとスパイ防止法がないからです。スパイ防止法で売国行為が死刑となったら、それでもスパイ活動をできるほど度胸のある連中ではない。ハニトラか賄賂漬けになった屑に過ぎません。

 そもそも戦後何度かスパイ防止法制定の動きが自民党内であったそうですが、その都度必死に潰してきたのがこういう特亜の工作員たち。そりゃそうでしょう。自分たちの命がかかっているんだから必死に潰しますよ。始末の悪いことに、こういう特亜の手先が自民党内で実力を持っています。スパイ防止法のない独立国家も珍しいし情報機関もない国など果たしてまともな独立国家と言えるのか?

 さすがに日本を巡る状況は厳しさを増してきています。アメリカ中心の新連合国とシナの第3次大戦もいつ起こるか分かりません。そんな中、日本がまともな国にならないと戦争で壊滅的打撃を受けますよ。二階などはこの期に及んで習近平の国賓招待を画策しているそうです。あっ、名前出しちゃった(てへっ)。今度こそ日本は勝たないといけません。戦勝国となることで、第2次大戦で生みだされたさまざまな矛盾を解消し利権、敗戦利得者どもを完全に排除できるのです。在日でありマスゴミであり反日左翼であり売国政治家ども。こういう国賊を一掃しない限り日本の再生はないと確信します。

 憲法改正が難しいならせめてスパイ防止法制定と情報機関は作らないと。情報機関に関してはひとまず内閣調査室の拡充で凌ぐしかありません。あと自衛隊内に軍事情報機関が必要ですね。流石に映画007シリーズのような派手なものは要りませんが、少なくとも公開情報を分析しそこから真実をくみ取る能力者の育成は急務です。外国に潜入するスパイの育成は一朝一夕ではできないが公開情報から真実を探ることはできる。そのためには国防と情報の予算をもっとつけないといけません。

 自民党議員の一部は目覚めているようですが、大半は戦後平和ボケにどっぷりつかったヘタレばかり。あとは売国奴。ならば我々国民が目覚めるしかない。国が滅びたら我々も死ぬんですよ。もっと危機感を持ってもらいたい。日本の再生は我々国民の覚醒にかかっていると言っても過言ではありません。弱腰政治家の尻を叩きスパイ防止法制定、情報機関設立を実現させましょう!

2020年7月 1日 (水)

風船状の白い物体、テロの可能性があるのでは?

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【宮城県知事】白い物体「非常に気味悪かった」…今も正体不明、知事が危機感


 一時テレビで話題になった白い風船状の物体。いたずらなど様々な説が出ましたが結局は分からず仕舞い。その中であるコメンテーターが北朝鮮から飛来したのでは?と言っていたのが気になりました。その人は生物化学兵器が載っていればとんでもない被害が出るとまで指摘していましたが、番組は露骨とも言える態度でその意見をスルー、私などはマスゴミは実は正体を知っていて隠蔽しているんだなと疑ったくらいでした。

 化学兵器は重量的に難しいと思いますが細菌兵器なら比較的軽くて済みます。例えば炭疽菌などを積んで任意の日本の都市で拡散すればとんでもない被害が生じると思います。私は細菌兵器や細菌そのものには無知なので空中散布くらいではそこまで大きな被害は出ないかもしれませんが、少なくとも炭疽菌が搭載されていた事実が判明した時点で大パニックになると思います。そして敵の狙いもここなのでしょう。

 日本政府も正体が分からないと発表していますが、実際は分かっていて公表しないのだと信じたいです。私のような素人でも危惧するくらいですから、本当に分からないのなら日本は滅びますよ。それほど深刻な問題だと思います。いたずら説など能天気なことを言っている場合ではないでしょう。あらゆるテロの可能性を想定し備える事こそ危機管理だと考えます。

 私は北朝鮮の技術をそこまで恐れていない(と言って侮ることはできませんが…)ので、重い核弾頭を搭載したミサイルを日本に撃ち込むまでには至っていないと思っています。通常弾頭ならありえますが。しかしこの風船爆弾なら容易に日本を攻撃できます。そして一度でも細菌が見つかったら、今度はそれを利用して日本を恫喝できます。

 我々日本人はいつまでも平和ボケのままじゃいけませんよ。北朝鮮は金正恩が死んだか少なくとも政務が取れない重篤な状態です。そこで妹の金与正に権力の移譲が進められていますが混乱状態で国家崩壊寸前です。故に何をしでかすか分かりません。日本に対し何らかの軍事的冒険を実行しないとも限らない。安全保障はあらゆる可能性を考えて措置を取るべきで、想定外はあり得ません。

 皆さんは謎の白い風船、どう思われますか?

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