肥後の古代湖、茂賀(もが)の浦
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超マニアックな話題で申し訳ない。随分前、ヤフーブログで内田康夫『浅見光彦シリーズ 【はちまん】』の舞台の一つとなった熊本県山鹿市鹿央町の千田聖母(ちだしょうも)八幡宮の紹介をしました。作品の中で千田聖母八幡宮の聖母とは、古代この地を治めていた女王の事で卑弥呼ではないかと推理していたのが印象深いです。
熊本県山鹿市から菊池市にかけて菊鹿盆地が広がっていますが、この地は約9万年前から弥生時代にかけてサロマ湖に匹敵する広さの茂賀の浦という湖が存在しました。現代の地図でも菊池川に大小の支流が流れ込み、大昔は湿地だったと容易に想像できます。東は迫間丘陵、西を関町丘陵、北は筑肥山地、南を肥後台地に囲まれている盆地で、弥生時代以降も縮小しながら古墳時代までは湖(あるいはその痕跡)が残っていたようなのです。
湖の水が引いた後は水田に適した豊かな大地が広がり、現在でもこのあたりは肥後有数の穀倉地帯です。弥生時代後期、このあたりに女王が治める国があったという伝説があります。私は邪馬台国宇佐説(その後大和に東遷)を取っているのですが、内田さんはこの女王を卑弥呼ではないかと推理していたんです。
実際、菊鹿盆地とその周辺には古墳が数多くあり、古代王権が存在していたそうですし、被葬者に女性がいたことも確認されています。なかなかロマンある話ですよね。かつて『はちまん』が新聞連載されていた時、千田聖母八幡宮の記述を見て実際に現地まで行ったことがあります。内田さん自身も連載を始める前、現地新聞社の案内で訪れたそうです。私ももう一度行きたくなりました(笑)。
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