アーサー王の都キャメロット
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アーサー王伝説にでてくる都キャメロット。アーサー王に仮託される5世紀後半から6世紀初頭頃イングランドを統一したとされる王は実在したと言われます。ただアーサー王物語にある聖杯伝説や円卓の騎士などは後世の脚色で史実とは言い難いとされます。ですからアーサー王が本拠と定めたキャメロットは正確な場所が分からないというより実在しなかった可能性が高いと思います。
ではキャメロットが全くの嘘かというと、アーサー王に仮託される当時の王が本拠と定めた場所はあるはずです。イギリスでもその観点でキャメロットがどこだったのか色々考察されているそうです。一番有力なのはイングランド南東部エセックス州にある都市コルチェスター。人口10万人ほどの地方都市ですが、紀元前から存在するイギリス最古の都市とも言われます。
コルチェスターはケルト語で戦神カムロスの要塞を意味するカムロドゥノンと呼ばれました。その後紀元前43年ローマ軍がブリテン島に侵攻、この町を要塞化しラテン語読みでカムロドゥノムとなります。カムロドゥノムは属州ブリタンニア最初の首都となりました。紀元61年ブーディカ女王の乱で破壊され、その後属州の首都はロンディニウム(現在のロンドン)に移ります。
しかしカムロドゥヌムも再建され、エセックスの重要都市であり続けました。5世紀にローマ帝国の支配が終わりゲルマン系のアングル族、サクソン族、ジュート族らが侵攻してくると、いつしかこの町はコルチェスターと呼ばれるようになります。ただ、考古学者モーティマー・ホィーラーはコルチェスター、ロンドン、セント・オールバンズを結ぶ三角形はアングロサクソン侵略初期も以前としてローマ人支配が続いていたと指摘し「ローマ支配の三角形」と呼びました。
この点からも、アーサー王に仮託される王がケルト族長だった可能性は低く、ローマ軍人出身の植民市の首長、あるいはローマ帝国に雇われた傭兵隊長(具体的にはイラン系遊牧民アラン人の族長)だったと私は考えます。そしてキャメロットのモデルはローマ支配の三角形を基盤として一時アングロサクソンの侵略を防いだ王が根拠地としたコルチェスターだったのでしょう。
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