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2021年11月 6日 (土)

刀伊の入寇Ⅱ 11世紀の日本

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 刀伊の入寇の起こった1019年がどういう年かというと、日本では藤原道長が従一位摂政・太政大臣として藤原摂関家の絶頂期にあった時期でした。道長の有名な和歌「この世をばわが世とぞ思ふ望月(もちづき)の欠けたることもなしと思へば」と詠んだのは刀伊の入寇が起こる一年前の1018年の事です。

 ただ平安時代と言う名前と違い、実際は世の中が騒然とした時代でもありました。平将門が関東で、藤原純友が西国で起こした反乱、承平天慶の乱は935年から941年にかけてで道長が政権を握る60年前、そして奥羽で起った前九年・後三年の役は道長の子頼道時代の1051年から1087年にかけて起こります。

 道長の属する藤原北家が他氏を圧し朝廷の高官を独占していく過程で律令制は崩れていきます。奈良朝聖武天皇時代の墾田永年私財法が引き金となり荘園が拡大し朝廷の歳入は激減しました。というのも最初は荒蕪地の開墾だったものが次第に国衙領を蚕食するようになったからです。貴族たちはこぞって荘園獲得という私利私欲に走ります。また荘園を開発した豪族たちも都の権門と結ぶことで自己の権益を獲得していきました。これら豪族たちが武装したのが武士の始まりだと言われます。土地争い、水争いを解決するには自分たちが武装するしかなかったのです。律令制は崩壊し朝廷に紛争解決力は無くなっていました。海音寺潮五郎が小説『海と風と虹と』(NHK大河ドラマ『風と雲と虹と』の原作の一つ)で藤原純友に「都の貴族たちは国家に巣くう白蟻たちだ」と言わせたのもこういう実態を踏まえてのことでした。藤原氏を中心とする貴族たちは自分たちの利益を最優先したために朝廷の力を弱め最後は実力のある武士に実権を奪われていくのです。言わば自業自得でした。

 律令制下で国防を担っていたのは軍団制です。これは戸籍に基づき住民の中から一定数を徴兵するもので全国各地に設置されました。規模はだいたい一軍団1000人から2000人くらい。ローマ帝国の軍団(5000人から6000人)に比べると小規模でしたが、人口も経済規模も少ない日本ではこれが精一杯でした。防人というのは軍団に徴兵された兵士の事です。桓武天皇の時代、奥州や西国を除いて軍団制は廃止されました。代わって健児(こんでい)制が導入されます。これは各国府の税収を基に集められた一種の傭兵で全国合わせても3000人くらいと小規模なものでした。税収が激減した朝廷が維持できる精一杯の数だったのでしょう。その健児さえも道長の時代には有名無実の存在となっていました。

 では刀伊の入寇で活躍したのはどういった勢力だったかというと、まさに武士団でした。平将門の乱で平貞盛の常陸平氏、藤原秀郷の下野藤原氏、河内源氏の祖源経基らが東国で強力な武士団化したのと同様、西国でも藤原純友の反乱鎮圧で活躍した大蔵春実の子孫である大蔵氏(嫡流は筑前原田氏となる。一族に秋月氏、高橋氏、江上氏など多数。原田党と呼ばれる)や、宇佐神宮に所縁の大神(おおが)氏などが武士団として成長していました。

 これに加えて刀伊の入寇を迎え撃った大宰権帥(ごんのそつ)藤原隆家の護衛として下向してきた武士たちが迎撃軍の中核となります。隆家の父道隆は正二位関白・内大臣でした。ところが995年43歳で死去したため摂政・関白職は弟道兼に移ります。その道兼も急死したため最終的に摂政の地位を得たのは道長でした。道隆は長男伊周(これちか)に摂政・関白職を譲りたかったそうですがそれを実現する前に亡くなったのです。

 伊周は叔父道長と壮絶な権力争いをしますが、敗北し1010年失意のうちに病死します。享年37歳でした。弟隆家も道長に強烈な敵意を持っていたと言われます。大人しい兄伊周と違い激しい性格だったと言われる隆家は道長に疎まれ出世できませんでした。そのうち隆家は目の傷から眼病を患い大宰府に名医と評判の唐医がいることから、自ら大宰府赴任を希望します。道長も体の良い厄介払いができると思い、隆家の希望通り大宰権帥に任命しました。

 

 これが後の我々から見ると最適な人選になるのですから歴史の皮肉です。次回は、刀伊の入寇の推移について語りましょう。

 

 

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