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2021年11月 9日 (火)

刀伊の入寇余話 博多警固所

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 皆さん誰も興味ないと思いますが、私は一つの事に関心を持つと関連項目も調べたくなるという癖を持っていまして、刀伊の入寇で日本側防衛拠点になった博多警固所が気になっていました。

 そこで調べてみると、古代から中世までの博多は西側が入江で今の福岡城から北の西公園荒津山のあたりまで南から伸びてくる小半島になっていたことが分かりました。これを福崎台地と呼ぶそうですが標高は30m余りと低い丘陵でした。その東側が冷泉津と呼ばれる入江で博多の港があります。半島の西側も草香江(くさかえ)という入江でした。今でいうと冷泉津は福岡市天神のあたり。草香江は現在大濠公園として残っています。

 この辺りは縄文時代から人が住んでいたそうで、博多は大和朝廷時代、大陸・半島への玄関口でした。魏志倭人伝を読むと弥生時代から栄えていたことが分かります。遣唐使もここから出発し、律令時代博多は大宰府の外港として重要視されました。朝廷は博多を守るため、この福崎台地に目を付けます。実はここに設けられたのが博多警固所でした。

 江戸時代初期、黒田長政が戦功で筑前52万石を得て入部した時目を付けたのも福崎台地でした。長政は福崎台地の最高所赤坂山(標高31m)に福岡城を築城します。その際福崎台地の南端を削って外堀にしたそうですから、この時福崎台地が南の山地と切り離されたことになります。その後干拓が進み福岡城の東側は天神地区となり西側は大濠公園となったのでしょう。

 ですから福崎台地、赤坂山の辺りは古代から博多を守る防衛拠点となっていたのです。現在の地形だと分かりませんが、半島部を要塞化していたので刀伊の賊も攻めあぐねたのでしょう。実は元寇の時も福崎台地、赤坂山の辺りは激戦地になっています。博多を占領するためには絶対にこの地を攻め落とす必要があったのだと思います。

 おそらく大和時代、飛鳥時代、奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、戦国時代と時代ごとに防衛施設が設けられていたと想像できます。ですから黒田長政が福岡城を築くときもこの地形を利用したはずです。実は福岡市中央区に警固神社、警固地区というのがありますが長政が城を築いた時、赤坂山にあった警固神社を現在の場所に移築したそうです。

 博多警固所は博多を守る重要な防御施設だったことが、当時の地形を見て納得しました。もしかしたら福岡城の地下には弥生時代の環濠集落跡があるかもしれません。大濠公園や天神に対するイメージもだいぶ変わりました。今度福岡に行くときは当時に思いを馳せたいですね。

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