匈奴配下のローマ兵?
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ネットでたまたま見たんですが、漢と匈奴の戦争の時、漢軍が匈奴に従っていた異質の軍隊を捕虜にし現在の甘粛省に連行、定住させたとありました。与太話の類かと思って調べたら出典は漢書・陳湯伝だそうです。
該当部分を記すと『紀元前36年、漢西域、最高長官である甘延寿と、副校尉である陳湯が、4万人の精鋭兵を率いて西域を出発し、匈奴を討伐した。この出征中、彼らは匈奴軍の配下に、きわめて奇異な傭兵部隊がいるのを見た。』ということで、その傭兵はどうもローマ兵ではないかと言われているそうです。実際甘粛省永昌県にはローマ人の子孫と称する村があるそうですが、私は漢書の該当部分を読んだ記憶がないし、甘粛省のローマ人後裔の村も確認したわけではないので何とも言えません。
ただ、可能性を考えると紀元前36年は漢11代元帝(在位前48年~前33年)の時代。陳湯も漢代末期の人で西域副校尉となって西域に赴任しています。西域都護の甘延寿と西域副校尉陳湯が4万の兵を率い匈奴と戦ったことは史実らしいです。では本当に捕虜となった異質の軍隊はローマ兵だったのか考察していきましょう。
紀元前36年より前の欧州は共和制ローマの時代。近いところだと紀元前53年第一回三頭政治の巨頭の一人クラッススがパルティアと戦ったカルラエの戦いがあります。この時クラッスス率いる重装歩兵主力のローマ軍は騎馬民族パルティアの弓騎兵にさんざん翻弄されほぼ全滅してしまいました。総兵力5万2千のうち死者2万、負傷者4千を出し1万人もの捕虜を出しています。
その後捕虜交換で戻ってきた兵士を数えても数千人が行方不明になっていたとされ、匈奴の傭兵になっていたとすればこれでしょう。その後、ローマではカエサルとポンペイウスの内戦からオクタヴィアヌスの覇権、ローマ帝国成立となりますから外国に目を向ける余裕はないはず。あるいは第2回三頭政治のオクタヴィアヌスの宿敵アントニウスがパルティア遠征も行っていますがこれは紀元前36年なので時系列的には違うと思います。
ここまではあくまで可能性の話。人間の心理として外国で戦争があり脱出に成功した兵士がいたとしても故郷と逆の方向に逃げるか疑問です。というのもギリシャ人傭兵がアケメネス朝ペルシャとの戦争で敵中に孤立しながら軍隊として組織を維持し苦難の末故郷ギリシャに逃げ戻ったという有名な『アナバシス』という話もありますからね。
パルティアの捕虜となったローマ兵が東の辺境(ホラサン地方からアフガニスタン辺り)に流され辺境警備の任務に就いたという話もありますが、当時パルティアが中央アジア諸国と大規模な戦争になったという史実は知りません。そもそも超大国ローマと対峙しているパルティアが反対方向の中央アジア諸国と戦争していたら馬鹿です。
一説では匈奴の傭兵はローマ兵ではなくギリシャ兵だったのでは?という見解もあります。これは可能性が高いです。というのも中央アジアのアフガニスタンからトランスオクシアナあたりにバクトリアというギリシャ人国家がありましたから。なぜここにギリシャ人国家が存在したか、歴史に詳しい人ならご存知だと思います。マケドニアのアレクサンドロス大王の遠征で成立した国家の一つでセレウコス朝シリアから独立しました。
そこに紀元前176年現在の甘粛省から西域に勢力を誇っていた月氏を匈奴が攻撃し西に敗走させます。月氏は当時弱体化し国家としての体をなしていなかったバクトリアを征服しクシャン朝を建国しました。もっともクシャン朝は月氏ではなく月氏に支配されていた現地民族が建国したという説もありはっきりしません。月氏だったとしても現地民族だったとしてもどちらもイラン系ですから。
バクトリアはギリシャ人が支配民族として君臨し軍隊もマケドニア風だったそうです。月氏がバクトリアに到達したとき、マケドニア風の軍隊が存在していたかは疑問ですが、これらが匈奴との戦争に駆り出され捕虜になっていた可能性は高いと思います。ローマ人がはるばるシナの甘粛省まで至ったというよりは、最初から中央アジアにいたマケドニア人の生き残りが捕虜になり甘粛省に連行されて定住したという方がしっくりきます。
皆さんは、甘粛省の欧州人末裔の村ルーツはどれだと思いますか?
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