イスファハーン ‐世界の都市の物語‐
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現在のイランの首都は国土の北寄り、カスピ海とイラン高原を隔てるアルブルズ山脈南麓に位置するテヘランですが、イラン高原のほぼ中央にあるイスファハーンもかつて繫栄した都市でした。どちらの都市も高原にありテヘランは海抜1200m、イスファハーンは海抜1500mの高原都市です。イラン高原自体が海抜900mから1500mのところにあるので、イランはチグリス河に近い低地地方を除き、まさに高原の国と言って良いでしょう。
イランという国名はアーリア人の国という意味で、実はインド亜大陸を征服したインドアーリア人と非常に近しい民族です。古代から文明が栄え、メソポタミア文明の時代にはエラム王国が成立しました。エラム王国は紀元前3200年ころから紀元前539年ころまで続きます。もちろんこの時はイラン高原ではなく、チグリス川に近い低地地方が中心地でした。
エラム王国はチグリス河東岸の低地地方からイラン高原南西に広がり、スサを首都としていました。エラム王国を建国した民族はアーリア人ではありません。民族が不明ですが、メソポタミア文明を興したシュメール人と近いセム系民族ではなかったかと想像します。
その後イラン高原に入ってきたアーリア人は、中央アジアの高原地帯に住んでいた遊牧民族でインド亜大陸に向かったのがインドアーリア人、イラン高原に来たのがイラン人(ペルシャ民族)だったのでしょう。アーリア人の移動は紀元前2000年ころから紀元前1000年ころにかけて行われたと言われます。
ただし、イラン高原南西部にはエラム王国が存在したため浸透できなかったようです。最終的にエラム王国を滅ぼすのはイラク北部の高原地帯にいたアッシリアでした。遊牧民族だったアーリア人が農耕に従事するのはメソポタミアやエラム王国の文明世界に触れたからでしょう。遊牧社会と農耕社会では養える人口が桁違いですからね。
とはいえイラン人の上層部は遊牧社会の伝統を持ち続けたようで、古代ペルシャ王国は騎兵が強力でした。イラン高原は何波もわたり最初はアーリア人、その後はトルコ系民族と侵略を受けます。そのため完全な農耕社会とはならず半農半牧の社会を保ったのだと思います。イラン高原は乾燥地帯のためカレーズ(カナートともいう)と呼ばれる灌漑施設が生まれました。これは高地の水源から地下水路を使って耕作地に水を導く施設で維持管理が必須でした。イラン人たちはこれを使って乾燥地帯で農業を営んでいたのですが、蛮族モンゴル人がイラン高原に侵入した時カレーズを破壊しまくったため荒廃が進んだと言われます。
前置きが非常に長くなりましたが、イスファハーンの歴史はアケメネス朝ペルシャに遡るそうです。一説には紀元前6世紀のユダヤ人居住区が町の起源だと言われます。ササン朝時代、この地は軍隊の駐屯地になり、軍隊の複数形であるセパ―ハーンがイスファハーンの語源だそうです。
イスファハーンは手工業が盛んでイスラム帝国時代も栄えたそうですが、16世紀サファビー朝第4代アッバース1世が首都と定めたことで繁栄を極めます。当時「イスファハーンは世界の半分」と称えられるほどでした。サファビー朝時代のイスファハーンは人口50万人を数えたそうです。同時代の世界の主要都市で人口50万人以上だったのはロンドン、パリ、北京、江戸、イスタンブールくらいでイスファハーンがいかに栄えていたか分かりますね。
アッバース1世は壮麗なモスクをはじめ様々な建設をすすめ、商業を保護します。絹織物、貴金属細工、ミニアチュールなどの産業も育成しイスファハーンは一大文化都市となりました。繁栄を極めたイスファハーンですが、サファビー朝末期の1722年アフガン人の侵攻を受け破壊されます。サファビー朝自体は1736年滅亡しますが、アフガン人は都市だけでなく周辺の農耕地も破壊したため1756年から1757年にかけての大飢饉で4万人の市民が餓死したそうです。
18世紀末イランにカージャール朝が成立するとイスファハーンも復興します。しかし首都機能はテヘラン、商業の中心はタブリーズに奪われ地方都市に転落しました。20世紀、パフラヴィー朝が興るとイスファハーンは近代都市に生まれ変わります。20世紀後半から人口が急激に増加し2006年ころには人口150万人に達しました。
イマーム広場、イマームモスク、アリ・カプ宮殿など観光地が有名で一度は訪れたい都市です。現地に行って悠久の歴史を感じてみたいですね。
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