ラインの守り作戦(バルジの戦い)ドイツ軍戦闘序列
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1944年12月、ノルマンディー上陸作戦以降連合軍に押しまくられていたドイツ軍ですが、さしもの物量を誇る連合軍の補給が滞り始めた隙を突き、アルデンヌ高原に奇襲攻撃をかけます。これがヒトラー最後の賭けともいえるアルデンヌ攻勢、世に言うバルジの戦いです。
アルデンヌ高原はベルギー南東部からルクセンブルク、一部フランスにまたがる高原地帯で大部分が森林に覆われています。第2次大戦初期、ドイツ軍はマジノ線要塞が通っていないここを通ってフランスに侵入し降伏させました。夢よもう一度、というところでしたが連合軍の物量に物を言わせた反抗作戦で貴重な戦略予備兵力を磨り潰し、敗戦を早めたとも言われます。
参謀本部も現地司令部も危険な賭けに大反対でしたが、ヒトラーが強引に実行させたそうです。ヒトラーは、アルデンヌを突破し連合軍の重要な補給港であるアントワープ(アントウェルペン)占領を目論んでいたそうですが、バストーニュで米第101空挺師団の頑強な抵抗にあり攻勢が頓挫、連合軍のヤーボ(戦闘爆撃機)が天候の回復と共に出撃してきたため作戦を断念しました。
この戦闘に参加したのはドイツB軍集団のうち、SS第6装甲軍と第5装甲軍でした。他に第7軍、第15軍も側面防御に使われます。調べてみると両軍合わせて8個もの装甲師団(戦車を中心とした師団)を投入していますが、このころになると戦闘の消耗で師団充足率は半分程度に落ち込んでいたそうです。あと装甲擲弾兵師団(他国の機械化歩兵師団にあたる)や降下猟兵師団(エリート空挺師団)も少数参加しています。
それよりも驚くのは国民擲弾兵師団の多さ。名前はカッコ良いですがただの歩兵師団で、しかも通常の歩兵師団より装備も練度も劣る劣悪師団でした。イメージ的には日本の大戦末期に泥縄動員された張り付け師団に近かったと思います。この当時はそこまで酷くなかったとは思いますが、末期には満足に小銃も行き渡らずパンツァーファウスト(携帯式対戦車擲弾)だけ持っているという惨状でした。
このような部隊しか戦略予備が残っていなかったという時点でドイツ軍は詰んでいたんでしょうね。機甲部隊に追随し戦果を拡大すべき歩兵師団が弱体だったことも作戦失敗の要因でしょう。
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