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2024年8月27日 (火)

中世の兵站

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 過去記事で1980年代のアメリカ歩兵師団(実質機械化歩兵師団)の1日補給量が攻勢時で3300トン、防御時で4000トンという膨大な物資を消費することを書きました。現代ではもっと機械化が進み補給量は鰻上りでしょう。機械化されていなかった大戦以前の日本歩兵師団だと1日補給所要量は200トンとかなり少なくなっていました。現代戦がいかに燃料をドカ食いするかの証明ですが、日本陸軍歩兵師団の200トンの中には兵士一人一人の食料、馬の飼料や水の量も含まれているのでしょう。

 では昔の軍隊はどれくらい補給を必要としていたのか興味を持ちました。昔の戦争はほぼ日本国内なので水は豊富にあったと思います。問題は兵士の食料と馬の飼料ですが、大体兵士一人で1日1㎏の食料を必要としたそうです。一方馬は体が大きいために1頭あたり最大20㎏の飼料と30リットルの水が必要でした。人間の場合の水の必要量が分からなかったんですが、せいぜい3リットルくらいだと想定します。

 1万人の軍勢で馬が3000頭だったとすると、食料は合計70トン、水は12万リットル必要になります。旧軍の1個師団が大体2万人くらいですから、1個師団200トンという数字は中世の軍隊にも当てはまりそうです。という事は1万人で100トンの補給が必要になりますね。

 戦国時代、あまり長距離の遠征ができなかったのは兵站の負担が大きかったからです。しかも略奪も少なかったのは奪った土地を自分の領地にするためでした。略奪が全くなかったとは言いませんが、わざわざ自分の領地になるはずの土地を荒廃させる馬鹿な大名は居なかったという事でしょう。もしいたら、そんな阿呆はすぐ隣国に滅ぼされます。

 一方、源平合戦や南北朝時代の遠征は驚くべき距離を進んでいます。例えば南北朝期の北畠顕家など東北地方から近畿地方に2回も遠征しています。それも驚くべき速さで!詳しく計算したことはありませんが、一説では1日50キロとか60キロとか進んだと言われます。東北地方は騎馬中心の軍隊だったと思いますが、それにしても驚異的なスピードです。これは当時の戦争が土地を奪うのではなく軍隊同士のぶつかり合いだったことと、領域支配の概念が欠如していたからでしょう。そしてそんな軍隊は地方地方で大略奪をしながら進みました。支配する気がないから住民の生活など知ったことではなく、時には殺して奪ったケースもあったでしょう。地方の人にとってはたまったものではないですね。さながら暴風雨が過ぎ去ったかのようだったと思います。

 南朝側、北朝側どちらの軍隊も略奪が横行していたそうですが、源平時代も木曽義仲の例もある通り略奪がつきものだったのでしょう。同じ戦乱の世なら一応領民の生活も考慮してくれる戦国時代が一番良かったのかもしれませんね。とはいえ戦乱の世よりは平和な世の中がベストなのは言うまでもありません。

 ちなみに、北畠顕家の上洛軍は5万人の兵力だったと伝えられます。1日の補給所要量は500トン。馬の比率が多いからもっと多かったかもしれません。これをすべて略奪で賄ったので関東地方、東海地方など奥州勢の通り道の国々は荒廃したでしょう。本当にろくな時代ではありませんね。

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