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2025年9月23日 (火)

モンゴル革命の犠牲者 ゲネピル女王

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 YOUTUBEの歴史系動画で知ったのですが、モンゴル最後の女王ゲネピルの悲惨な生涯に驚きました。

 17世紀以降モンゴルは清朝に従っていましたが、臣従ではなく緩やかな従属関係である程度の自治も認められていたそうです。1911年辛亥革命で清朝が事実上崩壊すると、モンゴルの人たちはチベット人でラマ教の高僧ジェブツンダンバ8世を元首に推戴し清朝から独立を宣言します。当時のモンゴルはラマ教を国教化しておりモンゴルの遊牧部族の長の誰かを推戴するより都合が良かったのです。

 ジェブツンダンバ8世はボグド・ハーンと呼ばれたので以後はこの名前で通します。実はボグド・ハーンはラマ僧にもかかわらず妻帯していました。ボグド・ハーンは清朝から独立を守るために帝政ロシアに接近します。ところがそのロシアもロシア革命で大混乱に陥り、ロシア政府はモンゴルの独立を認めず1913年には露中宣言で中華民国の宗主権を認めました。

 1919年中華民国軍がモンゴルに進駐、ボグド・ハーンは軟禁されます。しかし、ロシア革命の中、白軍(赤軍に対する反革命派)の指導者の一人ウンゲルン男爵の軍が1920年モンゴルに侵入、駐屯していた中華民国軍(国府軍)を追い出し、ボグド・ハーンを復位させます。あくまで傀儡ではあってもボグド・ハーンのモンゴル王国は復活したわけです。

 最初モンゴルの人たちはロシア白軍を歓迎していました。ところがモンゴルに逃亡してきたロシア系ユダヤ人を虐殺し、モンゴルの革命派も弾圧するなど暴虐の限りを尽くし、ボグド・ハーンの政府は密かに北京政府に救援を乞う始末。北京政府は満洲に割拠していた軍閥張作霖にモンゴルのロシア白軍討伐を命じますが、彼は動きませんでした。

 そんな中、革命派のチョイバルサンが1921年3月キャフタでモンゴル臨時人民政府を樹立。ソ連赤軍の支援を受け1万人にまで膨れ上がった革命軍はウルゲルン男爵のロシア白軍を撃破、最初はボグド・ハーンを元首とする連合政府を作りました。

 ボグド・ハーンがラマ僧にも関わらず妻帯していてことは前に書きました。その最初の妻は1923年死去します。53歳になっていたボグド・ハーンは妻の死を嘆きますが、宮廷はハーンが妻帯していないと都合が悪いので、新たな妻探しを始めます。選ばれたのはモンゴル北方の貴族の娘ゲネピルでした。彼女はすでに夫がいましたが、強制的に離縁させられボグド・ハーンの後妻にされました。当時19歳の若さだったそうです。

 政略結婚ですから愛などなかったでしょう。王妃となったゲネピルでしたが、病弱だったボグド・ハーンは1924年に54歳で亡くなります。わずか1年足らずの結婚生活、ゲネピルは実家に戻されました。この時最初の夫と再婚できたかどうかは分かりません。しかし彼女が平穏な生活に戻ることはありませんでした。

 1924年、権力を握ったモンゴル人民党の指導者チョイバルサンはモンゴル人民共和国設立を宣言します。チョイバルサンは権力を維持するために反革命分子の大量粛清を開始しました。命を奪われた人は推定三万人から三万五千人。モンゴル王国関係者、ラマ教関係者、ジャーナリスト、学者、チョイバルサンに反対する反体制派、モンゴル帝国以来の貴族層など多岐にわたりました。ほとんどは無実の罪ですが、でっち上げられた罪状で処刑されたのです。理不尽な話ですが、ロシアやシナ、カンボジアなど共産党政権ではよくある話でした。

 その魔の手は、平穏な生活を送っていたゲネピルにも及びます。1937年、日本軍に通謀し政権転覆を図ったという無実の罪で逮捕されました。どう考えても民間人で何の力もない彼女が政権転覆できるはずがありません。その上日本軍とどうやって連絡を取れるのでしょうか?チョイバルサンが彼女を逮捕したのは、あくまで王政の象徴としての見せしめでした。

 この時彼女は妊娠していたそうです。1938年、ゲネピルは家族と共に処刑されました。まさに革命の犠牲者です。享年33歳。このような悲惨な話が20世紀に起こっていたことを知って衝撃でした。運命に翻弄されたゲネピルとその家族の冥福を祈らざるを得ません。

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