データサイエンスで読み解く邪馬台国の位置
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例によってYOUTUBEの歴史系動画が元ネタです。長年邪馬台国の位置は論争が繰り返されていますが、最も有力な畿内説、九州説ともに決定的証拠に欠けはっきりと分かっていません。
そこで科学的手法で邪馬台国の場所を特定できないかというのがデータサイエンスだそうです。
『データサイエンスとは、統計学、数学、プログラミング、人工知能(AI)などの知識を駆使して、大量のデータから有用な情報や洞察を抽出し、問題解決や予測に役立てる学問・分野です。ビジネスの意思決定、マーケティング、スポーツ、医療、行政など、様々な分野で活用されており、データに基づいた最適なアプローチや新しい価値の創造に貢献します。』
これにはベイズ統計学が基になっています。これも初心者には分かりにくいのでAI解説を見ると
『ベイズ統計とは、「ベイズの定理」 を用いて、新しいデータが入手されるたびに確率を更新していく統計学です。最初に設定した事前確率に、観測したデータから得られる情報を加味して、より精度の高い事後確率を計算していきます。従来の統計学と異なり、不確かな情報や主観的な確率からでも推論が可能で、データが変化するような事象にも柔軟に対応できるのが特徴です。』
何やら、非常に面倒くさそうですが要するに現在与えられた情報を総合し確率論的に論じるものだと理解しました。もし間違っていたらコメントでお知らせください。
邪馬台国が存在する条件として
①鏡(銅鏡。最新の研究では鉄鏡という説も)の存在
②鉄の鏃(それに代表される鉄製武器)
③勾玉
④絹
の出土品を分析するというもの。
①の鏡は、奈良県で発見された数よりも福岡県で発見された鏡の方が100倍多いそうです。
②鉄の鏃も福岡県で発見されたものが圧倒的に多いと言われます。一方奈良ではほとんど見つかっていません。
③の勾玉は当時の装飾品でこれも福岡県が多いそうです。
④の絹はよく分かりませんが、実は魏志倭人伝に卑弥呼が魏の皇帝に絹を献上したという記述がります。実は福岡県の古墳から絹が発見されており、調べてみると福岡県の各地で弥生時代末期養蚕が行われていたそうです(おそらく当時では福岡県だけ)。
2~3世紀の福岡県、というより北九州は先進地帯だったと言えます。これらの情報を総合し分析すると、邪馬台国が福岡県に存在する確率が99.9%になるそうです。これも九州論者が恣意的に情報を取捨選択して都合の良いように解釈した可能性もあるので、地域を拡大して北九州と畿内で分析しても99.7%の確率で北九州に邪馬台国が存在した可能性が高いと出ました。
ただし、あくまで現在ある情報を分析した結果で、ブラックスワン現象といわれるような予想外の発見があった場合結論が覆る可能性もあるそうです。しかも畿内論者は魏志倭人伝に書かれた卑弥呼の墓に相当する古墳が北九州にはないと言っています。
ところが近年福岡県朝倉市で発見された長田(おさだ)大塚古墳が、魏志倭人伝に書かれた直系145mの古墳と同じ大きさであることから、これが卑弥呼の墓ではないかとも言われています。今後の発掘調査が待たれますね。
ちなみに、私は古代日本が宇佐八幡宮を異常に崇拝していた(道鏡事件を参照)ことから、卑弥呼の墓は宇佐神宮の下に眠っているのではないかと思っています。ただし邪馬台国は北九州の数多くの国を従えた国家連合だと思われますから、宇佐が都で朝倉市の長田大塚古墳が卑弥呼の墓である可能性も捨てきれません。
さらに言うと昔は邪馬台国東遷説を取っていましたが、最近は邪馬台国ではなく今の宮崎県から鹿児島県にかけて存在したと思われる投馬国が東遷したのではないかと考えています。というのも古事記に書かれている神武東征の記述が卑弥呼の時代と合わず、紀元前後の大阪平野、大阪湾の状況と合致するからです。作者と題名は忘れましたが、昔読んだ本に当時の大阪平野、大阪湾の状況が書かれており妙に納得したのです。詳しくは河内湖で検索してください。
邪馬台国は浪漫のある話で大好きですが、あれこれ推理して場所を想像するのは楽しいですね。







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