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カテゴリー「 軍事」の記事

2024年9月 5日 (木)

A-SAMとESSM

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 A-SAMというのは陸上自衛隊の03式中距離地対空誘導弾をベースに開発している発展型で海上自衛隊の護衛艦から発射する艦対空ミサイルの事です。ESSMは現代艦艇好きや自衛隊好きならお馴染みの発展型シースパローです。終末誘導のSARHはセミアクティブレーダーホーミングの事で、命中までレーダー照射し続ける必要があります。スパローミサイルと同じ方式ですね。

 なんでこの記事を書いたかというと、もがみ型FFMの後継である新型FFM(FFG ミサイルフリゲートに名称変更の可能性大)のMk.41VLS(垂直発射装置)にA-SAMが搭載される予定だからです。一説にはもがみ型のVLSが後日装備になったのはA-SAMの完成を待ったからだとも言われています。

 ちなみに、A-SAMの数値は不明だったのでベースとなった03式中距離地対空誘導弾のデーターを載せました。03式も改良型では直径28㎝と少し細くなっているので、A-SAMもそれくらいになるかもしれません。数値的にはA-SAMもESSMも似たような性能で射程でA-SAMのほうが若干長いんですが、A-SAMには不安があります。というのもESSMはMk.41VLSの1セルに付き4発積めますが、A-SAMは大きいので(スタンダードミサイル並み)、1セルに1発しか積めないのではと思います。

 新型FFMは32セルVLSを搭載する予定なので、そのうち16セルを艦対空ミサイルにするとA-SAMなら16発、ESSMなら64発も積めます。射程を取るかミサイル数を取るかですが、私個人的には最後は数の勝負になるのでESSM搭載の方が良いと思います。

 まあ、海上自衛隊は艦隊防空をイージスシステム搭載護衛艦やあきづき型に任せて、新型FFMは個艦防衛に徹するつもりかもしれないので、艦対空ミサイルを多数搭載する予定はないのかもしれませんが、今後いずも型を軽空母として運用する気なら艦隊防空艦をもっと増やした方が良いと思います。虎の子の軽空母を失うわけにはいきませんからね。

 ちなみにあきづき型のレーダーFCS-3Aは探知距離350㎞、追尾数200個、同時対処能力32目標なのに対し、新型FFMにどんなレーダーが搭載されるか不明なので、ひとつ前のもがみ型と同程度かその発展型だと想定するとOPY-2多機能レーダーの能力は探知距離200㎞、追尾数200個、同時対処能力16目標と対空戦では若干劣ります。

 もがみ型や新型FFMは対空、対艦、対潜マルチに活躍できる能力を持ちできるだけコンパクトに少人数で動かせるようまとめた艦なので対空戦もそこそこの能力があれば良いという考えなのかもしれません。だったら将来空母打撃群を育成するためにもあきづき型の発展型を多数建造すべきだと個人的には思います。

 まあこればかりは海自の艦隊整備計画と予算の制限があるので何とも言えませんが、あきづき型があまりにも高価すぎるからと廉価版にしたはずのあさひ型が750億円から700億円に下がった程度であまり安くなってないことを考えると尚更です。ここまで散々書いてきましたが、A-SAMの小型化が成功しVLSに4発積めるようになったら良いんですが。

2024年9月 1日 (日)

陸上自衛隊第7師団編制図

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 海外サイトで見つけた陸上自衛隊第7師団の編制図です。

 NATO記号が良く分からない方のために説明すると、長方形の中に楕円形の丸がついているのが機甲部隊です。同じく長方形にバツが歩兵部隊。それを応用すると長方形の中に楕円とバツがある場合は機械化歩兵部隊となります。長方形の中に黒い点は砲兵部隊。ですから長方形の中に楕円と黒い点があると自走砲部隊となります。

 陸自第7師団は、日本で唯一の機甲師団で3個戦車連隊と1個機械化歩兵(自衛隊は普通科とごまかしているが)連隊、1個自走砲連隊(これも特科連隊とごまかしている)を基幹とする強力な部隊です。

 戦車連隊は5個中隊からなり、通常は1個中隊14両編成です。ところが最新の10式戦車に関しては10両編成に減っています。現在のところ10式装備が1個連隊、90式装備が2個連隊で、10×5+14×10で190両定数。これに本部小隊で何両か戦車が付くので合計200両ほどの戦車を保有しています。

 しかし、例えばアメリカの歩兵師団(実質機械化歩兵師団)は44両定数の戦車大隊5個と機甲偵察大隊に27両戦車がありますので247両も戦車を保有しています。これが機甲師団だと戦車大隊が58両定数になってさらに増えます。世界一の超大国アメリカと比べてもしょうがないんですが、機甲師団で戦車200両というのは少ない方です。

 個人的には10式戦車も戦車中隊14両編成に増やすべきだと思います。調達数が上がってくればそうなってくれると信じています。第7師団の機械化歩兵は89式装甲戦闘車(他国で言う歩兵戦闘車【IFV】)装備ですが、現在調達中のパトリアAMV装輪装甲車に代替してよいのでもっと増やしてほしいですね。

 16式機動戦闘車から発展した24式装輪装甲戦闘車も調達を開始しましたが、パトリアAMVとの関係はどうなるんでしょうかね?もしかしたら第7師団の機械化歩兵は24式装備か?他の一般師団の歩兵向けがパトリアAMVなのか?防御力を考えると逆の方が良いような気が個人的にはしますが。自衛隊はパトリアを装甲兵員輸送車(APC)として使うつもりなんですかね?

 どちらにせよ、いつ台湾有事が起こるか分かりませんし日本の国防はしっかり準備してほしいと思いますね。ロシアやシナのようなならず者国家を隣国に持っているんですから油断大敵ですよ。ウクライナのようになっては困ります。

2024年8月23日 (金)

ベルリンの戦いドイツ軍戦闘序列

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 バルジの戦いでのドイツ軍戦闘序列を書いたので、ドイツ軍最後の戦いベルリン攻防戦での戦闘序列もついでに書いておきます。

 ベルリンの戦いとは、1945年4月16日ソ連軍のゼーロウ高地攻撃開始で始まるドイツ第3帝国首都ベルリンとその周辺で行われた一連の戦闘を指します。最終決戦のベルリン市街戦に参加したのはヴィクセル軍集団第9軍の第56装甲軍団と警察官部隊、ヒトラーユーゲント、国民突撃隊などの寄せ集め部隊でした。

 戦闘の詳しい経過については戦史書庫の「ドイツの戦争13ベルリン攻防戦(終章)」で書いたのでご参照ください。それにしても第3装甲軍司令官のマントイフェル大将(バルジの戦いでは第5装甲軍司令官)は、こんな乏しい兵力でよく善戦したなと驚きました。装甲軍とは名ばかりで装甲師団は一つもなく、装甲擲弾兵師団(隷下に戦車大隊1個をもつ)さえ無かったんですから。

 ベルリン市街戦を戦った第56装甲軍団のヴァイトリング大将(ベルリン防衛司令官兼任)も、充足率が大きく下がった正規師団と寄せ集め部隊で粘り強く戦ったものです。末期になってもなお、ヴィクセル軍集団司令官のゴットハルト・ハインリキ上級大将はじめ優秀な指揮官が数多くいたんですからドイツ将校団の層の厚さを感じました。

 ヴィクセル軍集団はポーランドの中央を流れるヴィスワ川(ドイツ呼称ヴィクセル川)からベルリンまでが担当地域でしたが、各地で善戦するも倍以上のソ連軍の数の暴力に屈し戦線を突破されたことでベルリン市街戦に突入しました。中央軍集団は、かつて独ソ戦に参加した中央軍集団の成れの果てですが、ヴィクセル軍集団の南方地域を担当します。

 中央軍集団第4装甲軍(これも独ソ戦に参加)第5軍団隷下に第21装甲師団の名前があると思います。戦史に詳しい方ならロンメル元帥のドイツアフリカ軍団(DAK)の指揮下に第15装甲師団と共にあった有名な師団だと気づかれると思います。しかしその時の第21装甲師団はチュニジアの戦いで壊滅し、ヨーロッパで再編成された師団でした。

 再編成後の第21装甲師団もノルマンディーの戦いから西部戦線で激闘を演じたベテラン師団でしたが、このころはすっかり消耗し稼働戦車数も数十両程度に落ち込んでいたそうです。1945年4月29日激戦の末ソ連軍に降伏しています。

 ちなみに、ナンバ―師団以外の装甲師団がいくつか見えますが、これは正規師団ではなく寄せ集めの劣悪師団で一つとして装備定数を満たしたものはありませんでした。半分もあれば良いほうで、中には実質戦車大隊程度の数しかない師団も多かったそうです。

 こうしてみると、開戦当時華々しかったドイツ装甲軍団の末路を見るようで哀しいものがありますね。

 

2024年8月21日 (水)

ラインの守り作戦(バルジの戦い)ドイツ軍戦闘序列

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 1944年12月、ノルマンディー上陸作戦以降連合軍に押しまくられていたドイツ軍ですが、さしもの物量を誇る連合軍の補給が滞り始めた隙を突き、アルデンヌ高原に奇襲攻撃をかけます。これがヒトラー最後の賭けともいえるアルデンヌ攻勢、世に言うバルジの戦いです。

 アルデンヌ高原はベルギー南東部からルクセンブルク、一部フランスにまたがる高原地帯で大部分が森林に覆われています。第2次大戦初期、ドイツ軍はマジノ線要塞が通っていないここを通ってフランスに侵入し降伏させました。夢よもう一度、というところでしたが連合軍の物量に物を言わせた反抗作戦で貴重な戦略予備兵力を磨り潰し、敗戦を早めたとも言われます。

 参謀本部も現地司令部も危険な賭けに大反対でしたが、ヒトラーが強引に実行させたそうです。ヒトラーは、アルデンヌを突破し連合軍の重要な補給港であるアントワープ(アントウェルペン)占領を目論んでいたそうですが、バストーニュで米第101空挺師団の頑強な抵抗にあり攻勢が頓挫、連合軍のヤーボ(戦闘爆撃機)が天候の回復と共に出撃してきたため作戦を断念しました。

 この戦闘に参加したのはドイツB軍集団のうち、SS第6装甲軍と第5装甲軍でした。他に第7軍、第15軍も側面防御に使われます。調べてみると両軍合わせて8個もの装甲師団(戦車を中心とした師団)を投入していますが、このころになると戦闘の消耗で師団充足率は半分程度に落ち込んでいたそうです。あと装甲擲弾兵師団(他国の機械化歩兵師団にあたる)や降下猟兵師団(エリート空挺師団)も少数参加しています。

 それよりも驚くのは国民擲弾兵師団の多さ。名前はカッコ良いですがただの歩兵師団で、しかも通常の歩兵師団より装備も練度も劣る劣悪師団でした。イメージ的には日本の大戦末期に泥縄動員された張り付け師団に近かったと思います。この当時はそこまで酷くなかったとは思いますが、末期には満足に小銃も行き渡らずパンツァーファウスト(携帯式対戦車擲弾)だけ持っているという惨状でした。

 このような部隊しか戦略予備が残っていなかったという時点でドイツ軍は詰んでいたんでしょうね。機甲部隊に追随し戦果を拡大すべき歩兵師団が弱体だったことも作戦失敗の要因でしょう。

2024年8月11日 (日)

クルスク戦車戦(1943年)に参加したドイツ軍戦闘序列

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※ 訂正 第48装甲軍団に第3装甲師団が抜けていました。

 

 丁度リアルタイムでウクライナ軍が越境攻撃を行いロシアのクルスク州で戦闘になったという報道を見ました。地図で確認すると独ソ戦当時のクルスクの戦いは、100㎞四方くらいのかなり広範囲で戦われたのだと分かりました。そこで戦闘に参加したドイツ軍の兵力がどれくらいか気になり調べた次第です。

 中央軍集団、南方軍集団の一部が参加しましたが、それでも総兵力78万人、戦車2928両、火砲9900門とかなり大規模な戦闘だったことが分かります。一方、ソ連軍は総兵力191万人、戦車5128両、火砲25000門を集め数の上で圧倒していました。いくらドイツ軍の質が良いとはいえ数の暴力の前には負けるのが当然で、ドイツ軍は負けるべくして負けたと言えるでしょう。ソ連軍の戦闘序列も気になったんですが膨大すぎで心が折れました(苦笑)。

 両軍合わせて9000両近い戦車が集まった戦いは空前絶後で今後もこの記録は破られないでしょう。ドイツ、ソ連両国にとって独ソ戦は血みどろの戦いだったんでしょうね。そんな激戦地で今もロシアとウクライナが戦っているかと思うと感慨深いです。

2024年7月13日 (土)

ドイツF126型フリゲートに関する個人的感想

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F126

 あまり興味のない方が多いとは思いますが、個人的に気になっていたので記事にしてみました。

 ドイツ海軍の前級バーデン・ヴュルテンベルク級フリゲートは私に言わせると明らかな失敗作でした。対空兵装が近接防空のSeaRAM×2基しかなく7300トンの艦体にしては中途半端な性能しかなかったと思います。ドイツ海軍は海外派遣もにらんで非対称戦争、戦争以外の軍事作戦を重視してバーデン・ヴュルテンベルク級を開発したそうですが、ロシアのウクライナ侵略で国際情勢が緊迫化した今無用の長物になったというのが私の感想です。

 この反省から次のF126型フリゲートでようやくMk.41VLS(垂直発射装置)が採用されました。満載排水量10550トン、最大速力26ノットで127㎜単装砲×1基、NSM艦対艦ミサイル4連装発射筒×2基、Mk.41VLS×64基搭載します。ただ他の資料ではVLSがたったの16セルという話もありはっきりしません。

 1万トンなら昔で言うなら重巡洋艦クラスですよ。現代ではミサイル駆逐艦がそれくらいの排水量になっているんですが、さすがにこれをフリゲートと言うのは無理があるような気がします。VLSには個艦防空のESSM(発展型シースパロー)が1セルにつき4発積めるので、16×4で64基と誤記された可能性もあります。

 ドイツは陸軍国なので海軍にはあまり力を入れていないのかもしれませんが、1万トンでVLSがたったの16基というのはあり得ません。日本のもがみ型FFMは5500トンでVLS16セルですよ。ですから64セルという資料を信じたいです。本来ならもがみ型もVLSは24セルとか32セル欲しいくらいなのに。ちなみにF126型は就役したらニーダーザクセン級と名付けられる予定です。

 ドイツ海軍は長期の海外派遣を視野に入れており、艦艇も戦闘能力より居住性重視だと言われますが、本末転倒も甚だしいと思いますよ。日本とは別の意味で平和ボケなんですかね?ドイツはNATOの一員でありドイツ海軍の任務もバルト海限定になっているなら中途半端な性能でも良いのかもしれませんが…。

 F126型フリゲートは2028年1番艦(ニーダーザクセン)が就役し6隻が建造予定です。就役したらVLSの数もはっきりすると思うんですが、建造費2000億円もするそうですから、中途半端な性能だと税金の無駄遣いだとドイツ国民から糾弾されますよ。日本もドイツを反面教師にしてまともな防衛力を整備してほしいですね。

 

 

追伸:

 上の画像が実際の艦だとするとVLSのスペースがあまり取れなさそうな気はします。やはり16セルが本当なのかな?というかSesRAMが邪魔なんだよ。艦体前方のSeaRAMを廃止してVLSのスペースを広げた方が良かったと思うんですよ。ESSMがあるから近接防空のSeaRAMは1基で十分だと個人的には思います。まあ今更手遅れかもしれませんが…。

 

追伸2:

 海外ウィキを見ると2×8セルと書いてあるから16セルが正解っぽいです。

 

2024年7月 9日 (火)

現代ドローン戦争と水上ドローンの可能性

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 ウクライナ戦争は大砲で耕して歩兵が突っ込むという、あるいは塹壕を設けて持久戦をするという第1次大戦のような古い戦争形態に戻ったと言われます。一方バイラクタルTB2に代表されるような無人機やドローンによるハイテク戦闘の側面もある奇妙な戦争です。

 砲兵の砲撃にしても従来は観測員がやっていた仕事をドローンが行い、偵察・目標選定・射撃評価などすべてを担っています。ただ、開戦当初持て囃されていたバイラクタルTB2の名前を最近全く聞かなくなりました。それは混乱していたロシア軍の防空体制が元に戻りバイラクタルが活動できにくくなっているからです。

 安価な無人機とは言えバイラクタルTB2は6億円くらいします。潤沢な国防予算があるわけでないウクライナにとっては、バタバタと落とされたらかなりの打撃になります。という事で最近はより小型で手榴弾程度しか積めないドローンや、小型~中型で戦車の上面装甲を破壊できる程度の爆薬しか搭載できないドローンを多用しています。これはロシア軍も同様で、小型から中型のドローンが主に活躍しているそうです。

 ただ手榴弾程度の爆薬でも、小型ドローンは数万円なので敵兵士一人を倒せればコスト的にペイするそうです。兵士の命も随分安くなったものです。一方、水上ドローンには無限の可能性があると見ています。というのも見た目は完全にモーターボート。40ノット以上の高速で移動でき、航続距離も800㎞あります。搭載している弾頭重量が300㎏もあるので、敵艦船に直撃すれば魚雷並みの威力で一発轟沈も可能です。私の敬愛する軍学者兵頭二十八氏の言う「安心・安価・有用」な兵器が水上ドローンだと思うんですよ。

 水上ドローンの価格は分からなかったんですが、高くても1億円はしないと思います。数千万円程度か下手したら数百万くらいでできそう。これで何百億円もする敵艦船を沈められるのならこれほど良い話もありません。現代の魚雷はハイテク化し価格も高騰しているので、下手したら水上ドローンのほうが安価になっているかもしれません。いくら命中率が高く威力があっても魚雷の射程はせいぜい80㎞くらいです。その10倍以上の射程があり、しかも安価であれば水上ドローンは今後どんどん発展していく可能性があると思います。破壊されても人命は失わないので、値段分だけの損で済みますからね。

 日本が空中ドローンや水上ドローンに力を入れてくれれば良いのですが、平和ボケが酷いと世界の動きに取り残されていく危険性もあります。国民の命を守るためにも日本政府はウクライナ戦争を真剣に研究して必要な装備はどんどん取り入れるべきですね。

2024年7月 7日 (日)

チェンタウロⅡMGS

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 1991年に配備開始されたイタリアのチェンタウロ戦闘偵察車は8輪で52口径105㎜砲搭載、最高速度108km/h、行動距離800㎞、重量26トンの装輪戦車でした。この種の車両はアメリカのM1128ストライカー機動砲、フランスのAMX-10RC、南アフリカのルーイカットなどがあります。イタリアの場合日本と国情が似ていて、長大な海岸線を守らなければいけないため、敵が上陸してきたとき主力戦車到着まで戦線を持ちこたえなければなりません。そこで機動的に動き、ある程度の対戦車戦闘も可能な車両の必要性が生じました。日本の16式機動戦闘車も同じ理由で採用されたと思います。

 一昔前なら主砲が76㎜など主力戦車よりは劣る火力しかありませんでしたが、最近の装輪戦車は105㎜ライフル砲という戦後第2世代戦車並みの主砲を備えたものが出てきました。とはいえ、軽い車体で戦車並みの主砲を撃つのですから反動が強く、発射した瞬間大きく車体が揺れます。ですから走行間射撃は緊急時のみで通常は停止してから発射するのだと思います。

 16式機動戦闘車のように走行間射撃でほとんど反動無く撃てる方が異常なのです。反動を押さえる工夫がなされているのか、演習時には火薬量を抑えた砲弾か空砲を撃っているのか分かりません。ご存じの方はご教授ください。

 それはともかく、2020年120㎜滑腔砲を搭載したチェンタウロⅡが登場しました。重量30トンに増えたのは120㎜の射撃に耐えうるよう構造を強化したのと、防御力を上げたのでしょう。とはいえ、これらの装輪戦車は前面装甲で20㎜機関砲の直撃に耐える程度、側面・背面で12.7㎜機関砲の直撃に耐える程度の防御力しかありません。チェンタウロⅡはIED(即席爆発装置)や地雷に対する防御力が向上したと言われます。追加装甲で40㎜弾までなら耐えうる防御力にもなるそうです。

 これでは敵主力戦車と正面から撃ちあうことはできないんですが、あくまで味方の主力戦車が到着するまでの時間稼ぎなのでしょう。チェンタウロⅡの射撃動画を見たんですが、30トンではさすがに120㎜滑腔砲の反動を押さえることは困難なようです。発射の瞬間大きく車体が揺れました。ただ装輪戦車は待ち伏せが基本で戦車同士の直接の撃ち合いは想定していないのでこれで良いのでしょう。

 攻撃力だけなら現用主力戦車並みの恐ろしい装輪戦車だと思います。チェンタウロⅡの優秀性に目を付けたブラジルは、早速2022年採用決定、98両調達予定だそうです。最終的には228両にもなると言われ、イタリア陸軍の96両を上回るユーザーになるかもしれません。では日本に120㎜滑腔砲搭載の装輪戦車が必要かと言えば、私は今の105㎜ライフル砲で十分だと思っています。あくまで主力戦車が到着するまでの時間稼ぎなので、敵上陸部隊と正面から撃ち合う必要はないと考えるんですよ。待ち伏せで側面や背面を攻撃するなら105㎜砲でも十分ですしね。敵戦車を正面から破壊したいなら各種対戦車ミサイルもありますから。

 ブラジルの場合、戦車がレオパルド1やM60A3なので戦車の代替としてチェンタウロⅡを採用したのでしょう。ブラジルは今のところ他国と戦争する可能性は低いですしね。局地的紛争程度ならチェンタウロⅡで十分だし120㎜滑腔砲の威力で十分な抑止力になると考えているのかもしれません。

 これからの世界の流れは、本格的な戦車と装輪戦車の二段構えになるのでしょう。

2024年6月28日 (金)

大日本帝国陸軍の主要軽機関銃

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 マニアックで恐縮ですが、以前明治期から大東亜戦争までの日本の主力小銃について書きました。そのついでに、小銃と同じ弾丸を使う分隊支援火器の軽機関銃についても調べました。せっかくなので記事にした次第です。参考までに九二式重機関銃と各国の軽機関銃(ドイツの場合は汎用機関銃)も載せておきました。

 十一年式は日本軍が初めて制式化した軽機関銃です。軽機関銃は分隊支援火器として1個分隊(10名前後。指揮官は軍曹)に1挺配備されました。三八式歩兵銃と同じ6.5㎜三八式実包を使用します。重機関銃と軽機関銃の違いは、重機関銃の方が威力が高いわりに重く一人で操作できないのに対し、軽機関銃は緊急時には一人でも操作可能です。とはいえふつうは給弾手が横に付きました。

 重機関銃は、制圧射撃、防御射撃が主な任務であるのに対し、軽機関銃は歩兵が突撃するための支援を行い、弾幕で敵兵が顔を上げられないようにするのが主任務です。まさに分隊支援火器ですね。

 九六式軽機関銃は十一式の改良型で、当時最優秀軽機関銃と評価されました。九九式は使用弾丸を九九式小銃と同じく7.7㎜にした軽機関銃です。驚くのは九六式、九九式で4万挺、5万挺と結構生産していることです。工業力の弱い当時の日本としては頑張った方だと思います。

 それにしても重機関銃、軽機関銃どちらにも使えるドイツのMG34、MG42が第2次世界大戦最良の機関銃と呼ばれるのも納得ですね。威力も発射速度も段違いです。その分重く、体格の小さい日本人ではまともに扱えなかっただろうと想像します。

 ちなみにチェコのブルーノZB26軽機関銃は、支那事変の時国民革命軍(蒋介石の軍隊)も使用しており、鹵獲した日本軍では無故障機関銃と呼んで喜んで使ったそうです。独特のキリキリといった発射音が特長だと言われます。とはいえ戦記物で読んだだけで実際に発射シーンを動画で見たわけではないので分かりません。

2024年6月15日 (土)

明治から大戦期までの日本の主力小銃

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20240612-133335

 前記事で幕末の各藩の軍備について書いたので、維新後から昭和の大戦時までの主力小銃に関して調べたくなりました。いつものごとくマニアックなので軍事に興味のない方はスルーしてください。

 日本初の国産小銃は薩摩藩出身の陸軍火器専門家村田経芳が開発した村田銃でした。元込め式ですが単発で列強が採用しつつあったボルトアクションライフルと比べると旧式化が否めないものでした。しかし国産できたという事はその後の発展に大きく寄与したと思います。

 次の三十年式は、陸軍大佐有坂成章(なりあきら)が開発したボルトアクションライフルです。海外のボルトアクション式ライフルと遜色ない性能で、これを改良した三八式小銃、口径を7.7㎜に増大した九九式とともに海外ではアリサカライフルの名前で有名です。今でも愛好家がいるくらいの名銃だと言えます。

 米英ソ独の主力小銃がともに1000万挺超えの生産数に比べると100万挺単位は少ないような気もしますが、日本の工業力を考えると頑張った方だと思います。村田銃と九九式の有効射程が異様に長いのは狙撃銃としての数値だと思います。各国の小銃もスコープ付きの狙撃銃だと有効射程1000m超えますから。

 アメリカがチート国家だと言えるのが、第2次大戦中他国がボルトアクションライフルを主力小銃として使う中、近代的なセミオートライフルであるM1ガーランドにいち早く切り替えた事でも分かります。ドイツもセミオートのワルサーGew43を開発しましたが、わずか46万2000丁しか生産できずKar98Kを完全に切り替えるには至りませんでした。M1ガーランドを625万挺も生産したアメリカが凄すぎるのでしょう。

 とは言え、ドイツは現代の主力小銃であるアサルトライフルのMP43やStG44などの後の時代にも強い影響を与えた名銃を生み出したのでこちらも評価が高いです。

 現代ではアサルトライフルの口径が7.62㎜から5.56㎜と小さくなり、さらにアメリカの次期主力小銃M7では6.8㎜に戻りつつあります。7.62㎜では反動が強すぎ、5.56㎜では威力が小さすぎるということで6.8㎜に回帰しつつあるのでしょう。それを考えると大戦中の日本の小銃は口径6.5㎜で良かったと思いますね。たしか欧州では体格の小さいイタリア兵も6.5㎜のカルカノM1891を使っていましたよね。

 体格の小さい日本兵には7.7㎜は反動が強すぎてガク撃ちになったと想像します。それを考えると7.92㎜モーゼル弾を使っていたドイツ兵はどれだけガタイがでかいんだと驚きます。支那事変の時6.5㎜の九六式軽機関銃では発射音が小さくてシナ兵が逃げないと文句を言っていた現場兵士の声で7.7㎜の小銃と軽機関銃を開発したと言われますが、今考えると「いったい何を言っているんだ?」と呆れますね。

 シナ兵が逃げないなら八九式重擲弾筒を撃ち込めばよいだろ、と思います(苦笑)。

 

 

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