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カテゴリー「 軍事」の記事

2020年6月12日 (金)

爆発反応装甲の話

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 例によって軍事に興味のない方はスルー推奨です。

 爆発反応装甲(リアクティブアーマー)というのは戦車の表面に付けられた長方形の箱状の補助装甲です。金属製の箱の中に爆発物が入っています。APFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾)にはほとんど効きませんが、HEAT(対戦車榴弾=成形炸薬弾)には効果があります。

 一般的に誤解があるのは爆発反応装甲によって敵砲弾の爆発の方向を逸らし防御すると思われがちですが、実際は自ら爆発させてHEATのメタルジェット(超高速噴流)の形成を阻害する事で防御します。戦後第3世代以降の戦車は複合装甲を持っているのでHEATに強い防御力を持っています。例えば日本の90式戦車は距離2000m、射角0度、RHA(均質圧延装甲)換算でAPFSDSは700㎜の防御力ですが、HEATに対しては1500㎜の防御力を持っています。

 ならばHEATは不要ではないかと思われる方もいるでしょうが、防御力が強いのは一番被弾の可能性が高い車体前面、砲塔前面で、側面や上面、背後は装甲が薄く複合装甲も使われていません。というのはすべてを複合装甲で囲めば重量が重くなりまともに動けなくなるからです。ですからアメリカのM1A2SEPエイブラムス戦車で63トン、ドイツのレオパルド2A7でも67トンと70トン以下になっています。日本の10式戦車は何と44トン、軽すぎるという意見もありますが最新の複合装甲で90式戦車と同等以上の防御力を持つそうです。戦後第2世代は普通の均質圧延装甲なので防御力が弱く、爆発反応装甲の必要性が出てくるのです。戦後第3世代以降でも側面や背後、上面を守るために爆発反応装甲は使われます。

 爆発反応装甲はイスラエルで1979年開発されました。第4次中東戦争(1973年)ソ連製の対戦車ミサイル(弾頭はHEAT)で甚大な被害を受けたためです。1982年レバノンへ軍事侵攻した際爆発反応装甲はPLOの対戦車ミサイルやRPG-7に対し効果を実証しました。シリアで捕獲サンプルを入手したソ連、技術提供を受けたアメリカも爆発反応装甲を開発します。

 爆発反応装甲は敵HEATが30度の角度で命中したとき最大の効果を発揮すると言われ、垂直に当たった場合はほとんど効果がないそうです。湾岸戦争で米海兵隊のM60A3戦車が爆発反応装甲を付けていた姿を覚えている方もいるでしょう。ソ連、ロシアのT-72、T-80、T-90は爆発反応装甲で全体を覆っています。敵がRPG系の対戦車ロケットを使用している国は爆発反応装甲装備率が高いですね。

 一応日本の陸上自衛隊も爆発反応装甲を持っていると言われますが、欧米諸国の戦後第3世代以降の戦車は余り爆発反応装甲を付けていません。これらの国はRPGを持ったゲリラ組織と戦闘する可能性が低い(アフガンは例外)のと、最新の複合装甲に自信があるからだと言われます。それと、何より爆発反応装甲は自ら爆発するため味方兵士を傷つける可能性が高いのも使用頻度が低い理由です。一説では爆発反応装甲の加害範囲は最大100mとも言われ、味方兵士は危なくて戦車の近くで戦えません。

 爆発反応装甲を付けている戦車はゲリラ組織との市街戦を想定していると思って当たらずといえども遠からずかもしれませんね。

2020年6月 7日 (日)

HEAT(対戦車榴弾=成形炸薬弾)の話

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Atheat

 

 前記事でAPFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾)について触れたので、現代戦車の主要砲弾であるもう一つの主役HEAT(High-Explosive Anti-Tank 対戦車榴弾)について語ります。軍事に興味のない方にはチンプンカンプンだと思うのでスルー推奨です。

 HEATはAPFSDSが運動エネルギー弾であるのに対し化学エネルギー弾です。その構造は円柱状の炸薬の先を漏斗状にへこませ、その上に金属製のライナーをかぶせています。さらにこのままでは空気抵抗が大きいので先端に砕けやすいキャップ(無いものもある)を被せています。発射されたHEATは敵戦車の装甲に命中するとまずキャップが砕け散り漏斗部がぶつかります。ぶつかった瞬間炸薬が爆発し漏斗状の中心部に向かって超高速噴流(メタルジェット)が発生。このメタルジェットにより敵装甲を貫通するのです。これをモンロー/ノイマン効果と呼びます。メタルジェットの温度は3000度、その速度はマッハ20にもなるそうです。

 メタルジェットはガス噴流だと誤解しやすいですが、これはユゴニオ弾性限界を超え金属が液体に近似した挙動を示しただけです。現在では対戦車で使われるケースが多いですが、成形炸薬弾ですから軟目標にも使えます。この場合当然通常の榴弾よりは破壊力が劣りますが、超高温(一説では500度以上)になって近くにいた敵兵士は焼死すると言われます。アフガンゲリラやシリアの反政府組織がRPG-7などで結構政府軍と対峙できるのはこのためです。最近はHEATにある程度の爆発力を持たせ榴弾と兼用させた多目的対戦車榴弾を装備するケースが多いそうです。

 実戦参加は第二次世界大戦。アメリカ軍のバズーカ、ドイツ軍のパンツァーファウストなどが有名ですね。戦後ソ連のRPG-7も弾頭にHEATを採用しています。各種対戦車ミサイルや無感動砲も弾頭はHEATです。HEATの威力は初期のもので漏斗直径の2倍、最近では5~8倍の均質圧延装甲を貫徹できると言われます。理論上の最大貫徹能力は漏斗直径の12倍。

 砲弾の特性上、回転しない方が良いので滑腔砲と相性が良いです。ただ最近はライフル砲でも撃てるHEATが登場しました。これは弾殻を内外二重にして外側だけがライフリングで回転する方式で、スリッピング・ドライヴィング・バンドと呼ばれます。ライフル砲で撃つAPFSDSも同じ方式です。

HEATの威力を減殺させるためにはメタルジェットの加害範囲である数十センチ手前に何らかの防御策を施せばよく、ドイツ軍は戦車砲塔の外側にシュルツェンと呼ばれる増加装甲を設けたり、車体側面にもサイドスカートを付けました。イスラエル軍のメルカバ戦車は装甲の数十センチ手前に鎖状のカーテンをつるしています。現在戦車の主流である複合装甲はHEATに対しても強い防御力を持っているため、対戦車にはAPFSDSを使用することが多いそうです。対して攻撃側はタンデムHEATを開発し二重、三重の弾頭で外側の増加装甲を貫通した後主装甲を次の弾頭で貫通するものが出現しました。また、増加装甲を付けにくい車体上面を狙って、発射して命中直前ポップアップする優れものも出ました。このように攻撃側と防御側の技術のいたちごっこは永遠に続くでしょう。

 前記事でドイツのレオパルドⅡがA5以降楔型増加装甲を付けた理由を考えましたが、砲塔前面は複合装甲であるものの防楯部は普通の均質圧延装甲で弱点だったためそれを守るために楔型増加装甲を設けたそうです。防楯部に複合装甲を付けるのは難しいんでしょうかね。日本の90式戦車も似た形をしているので心配しましたが、最新の10式戦車に関しては防楯部の防御も2010年までに登場したAPFSDSやHEATに耐えられるそうですから一安心です。未確認情報ですが、一説では90式の防楯はきっちり複合装甲になっているそうです。まあ、軍事機密ですから真相は分かりませんが、信用するしかありません。

2020年6月 4日 (木)

戦車の複合装甲の話

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 前記事で現代戦車の砲弾APFSDS(装弾頭付翼安定徹甲弾)一覧を書いたんですが、戦車の装甲に興味が移り調べてみました。と言っても私はあくまで素人、軍事に詳しい方から見ると頓珍漢なことを言っているかもしれません。もし間違いがあったらコメントで教えていただけると幸いです。

 第2次世界大戦の陸戦の主役と言えば戦車。当時の戦車装甲は砲弾が直撃しても逸らして威力を減殺させる避弾経始という考え方が主流でした。ソ連の傑作戦車T-34を思い浮かべてもらうと理解できると思います。戦後になるとソ連はT-54、T-55、T-62のように砲塔を半球形にした理想的避弾経始を持った戦車を登場させます。これに西側諸国は衝撃を受けました。当時の戦車は均質圧延装甲(RHA)でした。

 ところが高性能な徹甲弾(APFSDSなど)が登場すると均質圧延装甲と避弾経始の組み合わせは全く無意味になります。というのもマッハ5で飛んでくるAPFSDSは跳弾しにくく侵徹体の先端が敵戦車の装甲に当たりさえすれば衝突面から垂直方向に曲がり侵徹するからです。初期のレオパルドⅡや90式戦車の砲塔前面装甲が垂直なのもそのためです。それもタングステン弾芯ならまだしも米ロが使用する劣化ウラン合金弾芯だと貫徹して穿孔した穴から劣化ウランの破片が飛び散り発火するという凶悪な物でした。

 そこで登場したのが複合装甲です。有名なチョバムアーマーはその走りですよね。複合装甲は積層装甲とも呼ばれ鋼鉄の装甲版に異なる材質の物質を挟み込み積層構造で敵弾の侵徹を防ぐようにしたものです。挟み込む材質は劣化ウラン、セラミック、チタニウム合金、繊維強化プラスチック、合成ゴムなど。複合装甲は軍事機密なので現代でも詳しい構造は分かっていませんが、初期の複合装甲に含まれるセラミックは非拘束式だったため割れやすくAPFSDSやHEAT(成形炸薬弾=対戦車榴弾)には強くとも、それ以外の通常弾には弱いという欠点がありました。とはいえRHA(均質圧延装甲)換算で700㎜以上の防御力があればほとんどの砲弾は跳ね返すと思いますがね。

 

 アメリカ軍の主力戦車M1A1エイブラムスはこの欠点を嫌いHA以降から複合装甲に劣化ウランプレートを多用するようになります。A2ではさらに装甲の強化が図られたそうです。チョバムアーマー系列を装備しているのはアメリカのM1エイブラムスとイギリスのチャレンジャー戦車のみです。一方、ドイツや日本はチタンなどで形成された角形ケースの中にセラミックを高い圧力で封入した拘束セラミックという方式を採用しています。そのセラミックは酸化物系セラミックの代表格であるアルミナセラミックだそうです。アルミナセラミックはほとんどの酸、アルカリに浸食されにくく耐薬品性は極めて良好だと言われます。加えてその硬度はモース硬度で9。ダイヤモンドの10に次ぐ硬さ。天然ではルビーとかサファイヤに当たるそうです。

 これも確認したわけではないのであくまで噂ですが、拘束セラミック複合装甲は非拘束式セラミックに対し25倍の強度を誇るとも言われます。実際、90式戦車は対弾テストの時、至近距離からAPFSDSとHEATを合わせて7発も受けながら、まだ動ける状態だったそうです。湾岸戦争の時、米軍のM1A1エイブラムス戦車は地雷で擱座した所をイラク軍T-72戦車3両に襲われ至近距離から125㎜滑腔砲弾を受けるもびくともせず、逆に反撃して敵戦車2両を撃破したという話があります。残った1両はほうほうの体で逃げ出したそうです。また故障して動けなくなったM1A1戦車を処分しようとして味方のM1A1戦車が120㎜APFSDSを撃ち込んだもののなかなか破壊できず苦労したというエピソードもあるくらいです。

 このように現代戦車の複合装甲の防御力は非常に優れていると言われます。もっとも湾岸戦争の場合はロシアがイラクにモンキーモデルのT-72を売り、砲弾もタングステンではなく普通の鋼鉄製侵徹体のものを渡したそうですから、割り引いて考える必要があります。レオパルドⅡがA5以降楔型の増加装甲を設けたのは何故?という疑問が当然出てくると思いますが、タンデムHEATなどの新型砲弾に対抗するためだとか様々な説が出ていますが真相は不明です。ある人は、楔型で見かけ上の装甲が厚くなるので単純な防御力アップでは?という声もあります。

 ちなみに、2020年現在拘束セラミック装甲を量産できる技術を持つのは日本を含めわずか5か国だそうです。ドイツは当然として他は何処なんでしょうかね?アメリカ、イギリスは入りそうだしあと一国ってロシア?フランス?非常に興味があります。

 

2020年5月31日 (日)

APFSDS一覧

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Apfsds

 

 非常にマニアックで申し訳ない。軍事に興味のない方はスルーしてください。

 APFSDSというのは装弾頭付翼安定徹甲弾のことで現代戦車の主力砲弾です。APFSDSに関しては過去記事で詳しく書いたのでここでは簡単に紹介しますが、砲弾を発射すると侵徹体(細長いミサイルのような形をしている)を包んでいた装弾筒(Sabot サボ)がパカっと割れ中の侵徹体だけが飛んで行って目標に命中します。例えば砲の口径120㎜なら120㎜砲のエネルギーを保ったまま細長い侵徹体が飛んでいくので、目標に命中した場合侵徹体の先端にそのエネルギーが集中しものすごい貫徹力になります。

 命中した侵徹体はマッシュルーム状に広がり敵戦車の装甲にめり込みながら侵入、貫徹します。侵徹体の材料にはタングステン合金が使われる場合が多いですが、アメリカやロシアはさらに凶悪な劣化ウラン合金を使っています。劣化ウランはタングステンより重い重金属なので威力が上がります。さらに一旦装甲を貫徹すると、残った侵徹体は燃え上がり敵戦車内部を放射能を加えた火の海にします。いくら高威力でも環境に悪く人道的にもどうかと思うんですが、アメリカやロシアは自国で使われる可能性が低い事、勝つためには環境(しかも敵地の!)など知ったことではないという理由で劣化ウラン弾を使用しています。湾岸戦争やイラク戦争後放射能汚染が進んだ元凶です。

 米ロは恐ろしい国ですよね。図表は一応wikiを参考にその他の資料を集めて作成しましたが、数値が分かれておりあくまで参考程度にしてください。潜水艦の圧壊深度、機雷の性能などと同じく軍事機密なので正確なデーターは出てきにくいのかもしれません。

 ドイツの最新APFSDSであるDM63のデーターが見つからなかったのですが、ある資料によると従来のDM53の改良型で若干威力が上がっているとのこと。ちなみに日本の10式戦車の砲弾10式装弾頭付翼安定徹甲弾はDM63と同等だそうですから少なくとも2000mの距離でRHA(均質圧延装甲)換算650㎜以上の威力があります。

 加えて16式機動戦闘車でも採用されている105㎜ライフル砲用APFSDSベルギー製M1060A3は距離2000mRHA換算460㎜の貫徹力がありますから初期の120㎜APFSDSであるDM33とほぼ同等の威力があります。技術の進歩は恐ろしいですね。一部で言われている韓国のK1A1戦車(A2も含む)は105㎜ライフル砲を無理やり120㎜滑腔砲に換装し色々不具合が生じてますから105㎜砲に戻し砲弾としてM1060A3を採用したらどうか?という声もあるとか。威力は同等ですからね。まあ韓国の事ですから知ったことではないが。ちなみにあれだけ鳴り物入りで登場した(というかまともに実戦配備もできていない)K2戦車に関しては当の韓国陸軍関係者ですら匙を投げているそうです。K1A1戦車改修の件はK2よりまだしも実用的だから軍関係者の中から声が出ていると言われます。本当に困った国です(苦笑)。

2020年3月20日 (金)

M116パックハウザー75㎜空挺砲

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 第2次大戦中のアメリカ軍が使用した歩兵砲・山砲です。もともとは駄載により運用する山砲として開発されました。総生産数5288門。米軍にしては生産数が少ない気がしますが、米陸軍歩兵師団は砲兵連隊の主力榴弾砲であるM2 105㎜榴弾砲の砲身を短くして軽量化したM3を開発し歩兵連隊の歩兵砲として使用したため歩兵砲としてはあまり普及しなかったからです。

 とはいえ、山岳地での使用を前提とする山岳師団や上陸作戦時重装備を携行できない海兵隊、そして何より空挺降下前提の空挺師団にとっては650㎏しかなく軽量のパックハウザーは重宝されました。日本軍で言えば九二式七糎歩兵砲や九四式七糎半山砲に近いと思いますが、1945年にはその海兵隊ですら砲兵連隊の装備としては105㎜榴弾砲と155㎜榴弾砲に更新されました。

 戦後自衛隊にも供与され150門が使用されています。蒋介石の国民政府軍はアメリカから762門のパックハウザーを供与され国共内戦を戦いました。その蒋介石軍が台湾に叩き出され中共軍に鹵獲されたパックハウザーはベトナム共産党軍に供与されます。ディエンビエンフーの戦いにおいて不可能と思われた山岳地帯を踏破して配備されたベトミン軍のパックハウザーによって攻撃を受けたフランス植民地軍は驚いたそうです。ベトミン軍は日本軍の九二式歩兵砲も使用したそうですから、皮肉なことに日米の歩兵砲が肩を並べて戦ったわけです。もっともフランス軍はろくな兵器も持たないベトミン軍を舐めていて陣地構築もおざなりだったそうですから負けるべくして負けたのでしょう。

2020年3月17日 (火)

第2次大戦世界の主要榴弾砲

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 ノモンハン関連の記事を書いて以来関連項目を調べている最中です。私は熱しやすく冷めやすい性格でこれもマイブームのうちに調べた次第です。戦史とか軍事に興味のない方はスルーしてください。

 一見して分かるのは日本の榴弾砲の生産数の少なさ。性能も低く冶金技術その他が低いことが分かります。ただ日本陸軍が師団の主力榴弾砲にしようとした九一式十榴は1100門生産で結構頑張っています。ドイツではleFH18/40が主力榴弾砲になっていますね。アメリカはさすがに超大国らしくそこそこの性能で生産数も桁違いです。生産数が以上となっているのは戦後も生産されたことと、他国のライセンス生産分は追えないからです。

 驚くのはソ連軍の榴弾砲の多さ!性能はそこそこながらこんなに生産していたのは驚きです。流石は大砲王国ソ連。ソ連軍の場合は機動力が低い代わりに砲兵戦力を充実させて他国に対抗しようという軍事ドクトリンでした。それと大戦中から戦後にかけてソ連軍の主要軍事ドクトリンとなった縦深作戦ドクトリンとの関連が興味深いですね。

 

 

2020年3月11日 (水)

ノモンハンの地形

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 前記事で古是三春著『ノモンハンの真実』の書評を書きましたが、それ以来ノモンハン事件に対する関心が尽きません。おそらく日本で書かれたノモンハン関連の本では初めて触れたホロンバイル平原の地形(少なくとも私が読んだ限り。他に指摘している和書があったら教えてください)、実際にグーグルマップで見てみると日本・満洲側が主張する国境線であるハルハ河の西岸はたしかに崖になっています。一方東岸は東に行くほど緩やかに下る大草原。

 軍事に詳しい方ならご存知だと思いますが、ソ連・モンゴル側にとってハルハ河西岸は天然の反斜面陣地になっています。反斜面陣地に関して過去記事
『異端の参謀八原博通と反斜面陣地』
で詳しく書いたのでここでは簡単に説明しますが、敵に向かった斜面には兵力を配置せず、稜線上に警戒部隊を置き主力部隊と砲兵部隊は敵のいない反対側の斜面に配置する布陣です。敵が斜面(この場合は崖)に取り付くまでは稜線上の警戒部隊による着弾観測で後方の砲兵が攻撃し、敵が斜面に取り付けば稜線上の警戒部隊が攻撃し砲兵が支援、稜線を突破し回り込めば稜線上の警戒部隊と後方の主力部隊で挟撃するというものでした。

 戦史上反斜面陣地が猛威を振るったのは、沖縄戦における嘉数の戦い、安里五二高地(米軍呼称シュガーローフヒル)の戦いです。さしもの物量を誇る米軍も巧みに布陣した日本軍の反斜面陣地を攻めあぐみ大きな犠牲を払いました。反斜面陣地は通常戦力に劣るほうが優勢な敵に対して採る戦術ですが、ノモンハンの場合地形が自然にそういう陣地に適していた為ソ連側に有利、日本側は絶対不利な状況になったのです。しかも兵力はソ連側が優勢、日本側の砲兵陣地は敵から見通せるのに、稜線の向こう側のソ連軍砲兵陣地は日本側から見えないという状況でした。

 第2次ノモンハン事件で、最初ハルハ河渡河攻撃を行った日本軍はソ連軍の猛反撃を受けて敗退、主戦場はハルハ河東岸に移ります。ですから日本軍は最初から絶対不利な戦場だったのです。しかも司令部の無能さのおかげで情報軽視、情勢の誤判断、補給の枯渇、それでいながら日本軍は自軍を上回る損害をソ連軍に与えていたのだから驚嘆します。これはランチェスターの法則にも反する驚くべき大善戦です。

 戦争は結果が全てですからソ連・モンゴル側が主張する国境線まで押し戻された日本・満洲側の敗北であることは間違いないんですが、無能な司令部にもかかわらず日本軍兵士は驚くべき奮戦を見せたということは言えます。

2020年3月 9日 (月)

書評『ノモンハンの真実』(古是三春著 光人社NF文庫)

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 古是三春は元共産党員篠原常一郎氏のペンネームです。ソ連の軍事大学フルンゼ大学が由来かと思っていたら、大学の名前になった革命期のボルシェヴィキ指導者の一人ミハイル・フルンゼから採ったそうです。以降は面倒くさいので篠原氏で統一します。篠原氏と言えば、共産党時代共産党ナンバー3だった筆坂秀世氏の秘書も務めた古参党員。筆坂氏と共に現実路線を主張し頑迷固陋な共産党執行部に疎まれ追い出された人物です。

 その後は軍事評論家・政治評論家としてネットなどで活躍されているので知っている人も多いと思います。元共産党員で連中のやり口を知っているために反日左翼にとっては最も煙たい存在でしょう。筆坂氏や篠原氏のようなまともな共産主義者(正常な議論ができるから)が党の実権を握っていたら自民党など保守側にも脅威だったろうし、国会論議も建設的なものになっていたかもしれません。篠原氏は党時代から軍事を研究し離党後は文筆業を本業にされています。軍事研究などで古是三春名で記事を書いていたのを何度か読んだ記憶があります。

 本書はそういう党時代のコネクションもフルに活用し実際にノモンハンの戦場を訪れただけに非常に説得力があります。ソ連崩壊後流れ出た機密資料にも精通していて大変興味深い本でした。一般の日本人は国境地帯であるノモンハンには入れないし、もし入れてもスパイ容疑で逮捕されるのがオチでしょう。今まで何冊かノモンハン関係の本は読みましたが、本書が一番実情を伝えていると思います。

 これまでのノモンハン関連書籍は、反日左翼思想に毒され一方的に日本軍を叩くものや、悲壮な玉砕をドラマチックに描いて日本人の感情に訴えるものばかりで少なくとも軍事に興味ある者にとっては食傷気味でした。対して本書は戦闘の経過を淡々と記し一切の感情を排したリアルなものです。軍事書籍はかくあるべしという代表だと思います。

 私が驚いたり興味を引いた点がいくつかあります。一つはノモンハンの地形。日本・満洲側が国境線を主張するハルハ河の東岸はなだらかな地形で東に行くほど下っているのに対し、西岸のソ連・モンゴル側は最高で比高50mほどの崖になっている点です。これではソ連側の砲兵陣地は全く見えないのに対し、日本側は丸見え。一方的に叩かれます。またハルハ河を渡河しても崖であるため登る道が限定されソ連軍は防御しやすい事。これでは戦う前から勝負はついています。

 もう一つは、戦車第3連隊、戦車第4連隊から成る第1戦車団を基幹とする安岡支隊の活躍。従来の説では旧式の日本戦車はソ連軍戦車に全く歯が立たず一方的に撃破されたというものでした。これは左翼作家五味川純平のノモンハンなど一連の関連書籍の影響が強く後の作家もそれに引きずられたのでしょう。しかし実態は戦場で一番重装甲だったのは何と当時新鋭の九七式中戦車で25㎜。ソ連軍が投入したBT‐7、T‐26などは最大装甲15㎜しかなく日本軍の九四式三十七粍速射砲はもとより八九式や九七式の57㎜短カノンでも有効射程に入れば簡単に撃破できたそうです。一方ソ連戦車の装備する45㎜戦車砲も当たり前に日本軍戦車の装甲を貫徹できたそうですから、先に砲弾を当てた方が勝つのです。日本軍戦車兵は支那事変で鍛えられていたため精強でソ連戦車兵に比べ格段に優れた射撃をしました。ですから最初の安岡支隊によるハルハ河渡河攻撃がある程度成功を収めたのはまさに日本軍戦車兵の練度でした。

 日本軍歩兵も九四式三十七粍速射砲や九二式七十粍歩兵砲を駆使してソ連軍の戦車や装甲車を数多く撃破しました。それがなぜ最終的に第23師団の損耗率70%以上という壊滅に繋がったかと言えば補給が続かなかったからです。また関東軍高級参謀辻政信に代表される軍指導部の無能。情報の軽視と「ソ連軍は撤退しつつある」という信じられないくらいの楽観論。呆れ果てました。こんないい加減な指導部に地獄の戦場に送り出された日本軍兵士は浮かばれません。

 私は本書を読むまで第23師団長小松原中将に関しては同情的な見方をしていたんですが、彼もまた楽観論に引きずられいい加減な指揮を行っていたと知って失望しました。彼も同罪です。許せないのは、これだけ大損害を出したのに辻は大東亜戦争でもエリート街道を歩み続け、ガダルカナルでは米軍の物量を見て「これはノモンハンの比ではない」と驚いたという話です。どれだけ無能なんだと目の前が真っ暗になりました。こんな偏差値秀才で現実的判断ができない馬鹿に指導されたら勝てる戦争も負けますよ。今の官僚にも通じるものがあると思います。

 一度痛い目に遭ったらそれを修正するのがまともな人間。信賞必罰が軍のエリートには適用されないダブルスタンダードで腐りきった組織では勝てるはずありません。もちろん反省もしないし、それを生かすこともしない。その中で英雄的な戦いを行い散っていた日本軍兵士たちを尊敬します。一方ソ連軍はゲオルギー・ジューコフという名将を起用し可能な限りの準備を行って作戦を実行しました。その彼をして「一番苦しかったのはノモンハンの時だ」と述懐させたんですから日本軍は頑張ったのです。ただ指導部の無能のためにいたずらに損害を出し続け、個々の戦闘では勝っても最終的にソ連の主張する国境線まで押し戻されたのは戦略的敗北でした。

 本書を読んで改めて日本軍兵士の戦いぶりに驚嘆するとともに、軍指導部の無能さに怒りを増しました。ノモンハン事件に興味のある方、一読をお勧めします。

2020年3月 1日 (日)

ドイツ第4装甲師団 1944年8月戦闘序列

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 先日、ブックオフでグランドパワー1996年4月号『ドイツ第4装甲師団’44~45』を買いました。第4装甲師団と言えばポーランド侵攻に始まりフランス戦線、東部戦線と転戦した歴戦の装甲師団で、キエフ攻防戦、モスクワ攻防戦、クルスクの戦いなど主要な会戦にも参加しています。1944年それまで所属した中央軍集団から南方軍集団に派遣されるものの、ソ連軍の大攻勢バグラチオン作戦はむしろ中央軍集団を目標していた為呼び戻され、最後はレニングラード攻防戦に敗れた北方軍集団所属となりました。

 第4装甲師団は強力な装甲兵力で北方軍集団の崩壊を防ぐものの、巨大なソ連軍に飲み込まれ他の師団と共にラトビア西部、クールラント半島に押し込まれます。現地のドイツ軍は、クールラント軍集団と名称変更し絶望的な防衛戦を続けますが、そこで終戦、降伏しました。第4装甲師団はこのようなドラマチックな歴史を刻んでいます。

 本書はまさに第4装甲師団がクールラントへの移動命令を受けた1944年8月10日からリバウで海上輸送の脱出命令を受けた1945年1月17日までの同師団の戦いを紹介した貴重な資料です。まさにお宝ものの古書でした。定価は2300円、古本価格で1000円でしたが安い買い物だったと思います。

 その中に載っていたクールラント派遣直前、1944年8月1日のドイツ第4装甲師団戦闘序列です。上記の表では書いてませんが、戦車連隊本部にもⅣ号戦車×4両が配備されており、戦車連隊の戦力はⅤ号戦車パンター×61両、Ⅳ号戦車×83両になります。さらに指揮戦車は加えていません。1944年型装甲師団ではⅤ号戦車パンター×79両、Ⅳ号戦車×99両(ただし諸説あり)が定数ですから、指揮戦車8両も加えるとほぼ定数に近い戦力を持っていたことになります。これはワルシャワ蜂起に備えて一時ポーランドに下げられた時に戦力補充を受けたためでしょう。

 ブックオフはたまにこういったお宝が手に入るからたまりませんね♪

 

 

 

2019年12月 8日 (日)

日本陸軍自動車化輜重兵連隊の理想と現実

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 日本陸軍最大の弱点は兵站(総合的補給)能力の低さだと言われます。もちろん国力の限界はあったでしょうし、日本社会全体のモータリゼーション(自動車化)が進んでいない中で陸軍だけが突出できるはずもありません。大東亜戦争を通じて日本陸軍の兵站は輓馬に頼っていました。ただ、一部自動車化が進んだ師団(近衛第2師団、歩兵第5師団、歩兵第48師団など)ではさすがに兵站を輓馬に頼るわけにはいきません。兵站を担う主役である輜重兵も自動車化せざるを得ませんでした。

 陸軍としては、自動車化師団の兵站を維持するため、輜重兵連隊は6個自動車中隊を想定していました。おそらく九四式六輪自動貨車とその後継の輸送トラックを想定しているのでしょうが、1個中隊38台で連隊全体では38×6で228台。積載量2トンとして456トンの運搬能力があります。通常日本の歩兵師団は1日の物資消費量が200トンから300トンと言われます。自動車化師団はもっと多くなるでしょうからぎりぎり何とかなる運搬料です。ちなみに完全自動車化が進んでいたアメリカ陸軍歩兵師団の場合1日の最低物資消費量は500トン。多い場合(攻勢準備など)は1000トンを超えました。

 しかし日本の現実は厳しく、多くの自動車化輜重兵連隊は3個自動車中隊と理想の半分の規模でした。これだとわずか230トン弱の運搬量で輓馬編制の歩兵師団しか維持できません。当時の日本陸軍は厳しい台所事情の中戦っていたんですね。頭が下がります。

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