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カテゴリー「 軍事」の記事

2020年3月20日 (金)

M116パックハウザー75㎜空挺砲

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 第2次大戦中のアメリカ軍が使用した歩兵砲・山砲です。もともとは駄載により運用する山砲として開発されました。総生産数5288門。米軍にしては生産数が少ない気がしますが、米陸軍歩兵師団は砲兵連隊の主力榴弾砲であるM2 105㎜榴弾砲の砲身を短くして軽量化したM3を開発し歩兵連隊の歩兵砲として使用したため歩兵砲としてはあまり普及しなかったからです。

 とはいえ、山岳地での使用を前提とする山岳師団や上陸作戦時重装備を携行できない海兵隊、そして何より空挺降下前提の空挺師団にとっては650㎏しかなく軽量のパックハウザーは重宝されました。日本軍で言えば九二式七糎歩兵砲や九四式七糎半山砲に近いと思いますが、1945年にはその海兵隊ですら砲兵連隊の装備としては105㎜榴弾砲と155㎜榴弾砲に更新されました。

 戦後自衛隊にも供与され150門が使用されています。蒋介石の国民政府軍はアメリカから762門のパックハウザーを供与され国共内戦を戦いました。その蒋介石軍が台湾に叩き出され中共軍に鹵獲されたパックハウザーはベトナム共産党軍に供与されます。ディエンビエンフーの戦いにおいて不可能と思われた山岳地帯を踏破して配備されたベトミン軍のパックハウザーによって攻撃を受けたフランス植民地軍は驚いたそうです。ベトミン軍は日本軍の九二式歩兵砲も使用したそうですから、皮肉なことに日米の歩兵砲が肩を並べて戦ったわけです。もっともフランス軍はろくな兵器も持たないベトミン軍を舐めていて陣地構築もおざなりだったそうですから負けるべくして負けたのでしょう。

2020年3月17日 (火)

第2次大戦世界の主要榴弾砲

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 ノモンハン関連の記事を書いて以来関連項目を調べている最中です。私は熱しやすく冷めやすい性格でこれもマイブームのうちに調べた次第です。戦史とか軍事に興味のない方はスルーしてください。

 一見して分かるのは日本の榴弾砲の生産数の少なさ。性能も低く冶金技術その他が低いことが分かります。ただ日本陸軍が師団の主力榴弾砲にしようとした九一式十榴は1100門生産で結構頑張っています。ドイツではleFH18/40が主力榴弾砲になっていますね。アメリカはさすがに超大国らしくそこそこの性能で生産数も桁違いです。生産数が以上となっているのは戦後も生産されたことと、他国のライセンス生産分は追えないからです。

 驚くのはソ連軍の榴弾砲の多さ!性能はそこそこながらこんなに生産していたのは驚きです。流石は大砲王国ソ連。ソ連軍の場合は機動力が低い代わりに砲兵戦力を充実させて他国に対抗しようという軍事ドクトリンでした。それと大戦中から戦後にかけてソ連軍の主要軍事ドクトリンとなった縦深作戦ドクトリンとの関連が興味深いですね。

 

 

2020年3月11日 (水)

ノモンハンの地形

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 前記事で古是三春著『ノモンハンの真実』の書評を書きましたが、それ以来ノモンハン事件に対する関心が尽きません。おそらく日本で書かれたノモンハン関連の本では初めて触れたホロンバイル平原の地形(少なくとも私が読んだ限り。他に指摘している和書があったら教えてください)、実際にグーグルマップで見てみると日本・満洲側が主張する国境線であるハルハ河の西岸はたしかに崖になっています。一方東岸は東に行くほど緩やかに下る大草原。

 軍事に詳しい方ならご存知だと思いますが、ソ連・モンゴル側にとってハルハ河西岸は天然の反斜面陣地になっています。反斜面陣地に関して過去記事
『異端の参謀八原博通と反斜面陣地』
で詳しく書いたのでここでは簡単に説明しますが、敵に向かった斜面には兵力を配置せず、稜線上に警戒部隊を置き主力部隊と砲兵部隊は敵のいない反対側の斜面に配置する布陣です。敵が斜面(この場合は崖)に取り付くまでは稜線上の警戒部隊による着弾観測で後方の砲兵が攻撃し、敵が斜面に取り付けば稜線上の警戒部隊が攻撃し砲兵が支援、稜線を突破し回り込めば稜線上の警戒部隊と後方の主力部隊で挟撃するというものでした。

 戦史上反斜面陣地が猛威を振るったのは、沖縄戦における嘉数の戦い、安里五二高地(米軍呼称シュガーローフヒル)の戦いです。さしもの物量を誇る米軍も巧みに布陣した日本軍の反斜面陣地を攻めあぐみ大きな犠牲を払いました。反斜面陣地は通常戦力に劣るほうが優勢な敵に対して採る戦術ですが、ノモンハンの場合地形が自然にそういう陣地に適していた為ソ連側に有利、日本側は絶対不利な状況になったのです。しかも兵力はソ連側が優勢、日本側の砲兵陣地は敵から見通せるのに、稜線の向こう側のソ連軍砲兵陣地は日本側から見えないという状況でした。

 第2次ノモンハン事件で、最初ハルハ河渡河攻撃を行った日本軍はソ連軍の猛反撃を受けて敗退、主戦場はハルハ河東岸に移ります。ですから日本軍は最初から絶対不利な戦場だったのです。しかも司令部の無能さのおかげで情報軽視、情勢の誤判断、補給の枯渇、それでいながら日本軍は自軍を上回る損害をソ連軍に与えていたのだから驚嘆します。これはランチェスターの法則にも反する驚くべき大善戦です。

 戦争は結果が全てですからソ連・モンゴル側が主張する国境線まで押し戻された日本・満洲側の敗北であることは間違いないんですが、無能な司令部にもかかわらず日本軍兵士は驚くべき奮戦を見せたということは言えます。

2020年3月 9日 (月)

書評『ノモンハンの真実』(古是三春著 光人社NF文庫)

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 古是三春は元共産党員篠原常一郎氏のペンネームです。ソ連の軍事大学フルンゼ大学が由来かと思っていたら、大学の名前になった革命期のボルシェヴィキ指導者の一人ミハイル・フルンゼから採ったそうです。以降は面倒くさいので篠原氏で統一します。篠原氏と言えば、共産党時代共産党ナンバー3だった筆坂秀世氏の秘書も務めた古参党員。筆坂氏と共に現実路線を主張し頑迷固陋な共産党執行部に疎まれ追い出された人物です。

 その後は軍事評論家・政治評論家としてネットなどで活躍されているので知っている人も多いと思います。元共産党員で連中のやり口を知っているために反日左翼にとっては最も煙たい存在でしょう。筆坂氏や篠原氏のようなまともな共産主義者(正常な議論ができるから)が党の実権を握っていたら自民党など保守側にも脅威だったろうし、国会論議も建設的なものになっていたかもしれません。篠原氏は党時代から軍事を研究し離党後は文筆業を本業にされています。軍事研究などで古是三春名で記事を書いていたのを何度か読んだ記憶があります。

 本書はそういう党時代のコネクションもフルに活用し実際にノモンハンの戦場を訪れただけに非常に説得力があります。ソ連崩壊後流れ出た機密資料にも精通していて大変興味深い本でした。一般の日本人は国境地帯であるノモンハンには入れないし、もし入れてもスパイ容疑で逮捕されるのがオチでしょう。今まで何冊かノモンハン関係の本は読みましたが、本書が一番実情を伝えていると思います。

 これまでのノモンハン関連書籍は、反日左翼思想に毒され一方的に日本軍を叩くものや、悲壮な玉砕をドラマチックに描いて日本人の感情に訴えるものばかりで少なくとも軍事に興味ある者にとっては食傷気味でした。対して本書は戦闘の経過を淡々と記し一切の感情を排したリアルなものです。軍事書籍はかくあるべしという代表だと思います。

 私が驚いたり興味を引いた点がいくつかあります。一つはノモンハンの地形。日本・満洲側が国境線を主張するハルハ河の東岸はなだらかな地形で東に行くほど下っているのに対し、西岸のソ連・モンゴル側は最高で比高50mほどの崖になっている点です。これではソ連側の砲兵陣地は全く見えないのに対し、日本側は丸見え。一方的に叩かれます。またハルハ河を渡河しても崖であるため登る道が限定されソ連軍は防御しやすい事。これでは戦う前から勝負はついています。

 もう一つは、戦車第3連隊、戦車第4連隊から成る第1戦車団を基幹とする安岡支隊の活躍。従来の説では旧式の日本戦車はソ連軍戦車に全く歯が立たず一方的に撃破されたというものでした。これは左翼作家五味川純平のノモンハンなど一連の関連書籍の影響が強く後の作家もそれに引きずられたのでしょう。しかし実態は戦場で一番重装甲だったのは何と当時新鋭の九七式中戦車で25㎜。ソ連軍が投入したBT‐7、T‐26などは最大装甲15㎜しかなく日本軍の九四式三十七粍速射砲はもとより八九式や九七式の57㎜短カノンでも有効射程に入れば簡単に撃破できたそうです。一方ソ連戦車の装備する45㎜戦車砲も当たり前に日本軍戦車の装甲を貫徹できたそうですから、先に砲弾を当てた方が勝つのです。日本軍戦車兵は支那事変で鍛えられていたため精強でソ連戦車兵に比べ格段に優れた射撃をしました。ですから最初の安岡支隊によるハルハ河渡河攻撃がある程度成功を収めたのはまさに日本軍戦車兵の練度でした。

 日本軍歩兵も九四式三十七粍速射砲や九二式七十粍歩兵砲を駆使してソ連軍の戦車や装甲車を数多く撃破しました。それがなぜ最終的に第23師団の損耗率70%以上という壊滅に繋がったかと言えば補給が続かなかったからです。また関東軍高級参謀辻政信に代表される軍指導部の無能。情報の軽視と「ソ連軍は撤退しつつある」という信じられないくらいの楽観論。呆れ果てました。こんないい加減な指導部に地獄の戦場に送り出された日本軍兵士は浮かばれません。

 私は本書を読むまで第23師団長小松原中将に関しては同情的な見方をしていたんですが、彼もまた楽観論に引きずられいい加減な指揮を行っていたと知って失望しました。彼も同罪です。許せないのは、これだけ大損害を出したのに辻は大東亜戦争でもエリート街道を歩み続け、ガダルカナルでは米軍の物量を見て「これはノモンハンの比ではない」と驚いたという話です。どれだけ無能なんだと目の前が真っ暗になりました。こんな偏差値秀才で現実的判断ができない馬鹿に指導されたら勝てる戦争も負けますよ。今の官僚にも通じるものがあると思います。

 一度痛い目に遭ったらそれを修正するのがまともな人間。信賞必罰が軍のエリートには適用されないダブルスタンダードで腐りきった組織では勝てるはずありません。もちろん反省もしないし、それを生かすこともしない。その中で英雄的な戦いを行い散っていた日本軍兵士たちを尊敬します。一方ソ連軍はゲオルギー・ジューコフという名将を起用し可能な限りの準備を行って作戦を実行しました。その彼をして「一番苦しかったのはノモンハンの時だ」と述懐させたんですから日本軍は頑張ったのです。ただ指導部の無能のためにいたずらに損害を出し続け、個々の戦闘では勝っても最終的にソ連の主張する国境線まで押し戻されたのは戦略的敗北でした。

 本書を読んで改めて日本軍兵士の戦いぶりに驚嘆するとともに、軍指導部の無能さに怒りを増しました。ノモンハン事件に興味のある方、一読をお勧めします。

2020年3月 1日 (日)

ドイツ第4装甲師団 1944年8月戦闘序列

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 先日、ブックオフでグランドパワー1996年4月号『ドイツ第4装甲師団’44~45』を買いました。第4装甲師団と言えばポーランド侵攻に始まりフランス戦線、東部戦線と転戦した歴戦の装甲師団で、キエフ攻防戦、モスクワ攻防戦、クルスクの戦いなど主要な会戦にも参加しています。1944年それまで所属した中央軍集団から南方軍集団に派遣されるものの、ソ連軍の大攻勢バグラチオン作戦はむしろ中央軍集団を目標していた為呼び戻され、最後はレニングラード攻防戦に敗れた北方軍集団所属となりました。

 第4装甲師団は強力な装甲兵力で北方軍集団の崩壊を防ぐものの、巨大なソ連軍に飲み込まれ他の師団と共にラトビア西部、クールラント半島に押し込まれます。現地のドイツ軍は、クールラント軍集団と名称変更し絶望的な防衛戦を続けますが、そこで終戦、降伏しました。第4装甲師団はこのようなドラマチックな歴史を刻んでいます。

 本書はまさに第4装甲師団がクールラントへの移動命令を受けた1944年8月10日からリバウで海上輸送の脱出命令を受けた1945年1月17日までの同師団の戦いを紹介した貴重な資料です。まさにお宝ものの古書でした。定価は2300円、古本価格で1000円でしたが安い買い物だったと思います。

 その中に載っていたクールラント派遣直前、1944年8月1日のドイツ第4装甲師団戦闘序列です。上記の表では書いてませんが、戦車連隊本部にもⅣ号戦車×4両が配備されており、戦車連隊の戦力はⅤ号戦車パンター×61両、Ⅳ号戦車×83両になります。さらに指揮戦車は加えていません。1944年型装甲師団ではⅤ号戦車パンター×79両、Ⅳ号戦車×99両(ただし諸説あり)が定数ですから、指揮戦車8両も加えるとほぼ定数に近い戦力を持っていたことになります。これはワルシャワ蜂起に備えて一時ポーランドに下げられた時に戦力補充を受けたためでしょう。

 ブックオフはたまにこういったお宝が手に入るからたまりませんね♪

 

 

 

2019年12月 8日 (日)

日本陸軍自動車化輜重兵連隊の理想と現実

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 日本陸軍最大の弱点は兵站(総合的補給)能力の低さだと言われます。もちろん国力の限界はあったでしょうし、日本社会全体のモータリゼーション(自動車化)が進んでいない中で陸軍だけが突出できるはずもありません。大東亜戦争を通じて日本陸軍の兵站は輓馬に頼っていました。ただ、一部自動車化が進んだ師団(近衛第2師団、歩兵第5師団、歩兵第48師団など)ではさすがに兵站を輓馬に頼るわけにはいきません。兵站を担う主役である輜重兵も自動車化せざるを得ませんでした。

 陸軍としては、自動車化師団の兵站を維持するため、輜重兵連隊は6個自動車中隊を想定していました。おそらく九四式六輪自動貨車とその後継の輸送トラックを想定しているのでしょうが、1個中隊38台で連隊全体では38×6で228台。積載量2トンとして456トンの運搬能力があります。通常日本の歩兵師団は1日の物資消費量が200トンから300トンと言われます。自動車化師団はもっと多くなるでしょうからぎりぎり何とかなる運搬料です。ちなみに完全自動車化が進んでいたアメリカ陸軍歩兵師団の場合1日の最低物資消費量は500トン。多い場合(攻勢準備など)は1000トンを超えました。

 しかし日本の現実は厳しく、多くの自動車化輜重兵連隊は3個自動車中隊と理想の半分の規模でした。これだとわずか230トン弱の運搬量で輓馬編制の歩兵師団しか維持できません。当時の日本陸軍は厳しい台所事情の中戦っていたんですね。頭が下がります。

2019年11月30日 (土)

大日本帝国陸軍師団砲兵連隊戦力

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 我ながら暇だとは思うんですが、大東亜戦争時精強だったと思われる常備師団と特設師団(支那事変で編成)の砲兵連隊の装備火砲の数を調べてみました。砲兵区分の「野」は野砲兵連隊、「山」は山砲兵連隊の略です。

 第25師団に関しては、山砲兵連隊のはずですがこの表では普通の野砲兵連隊になっています。アメリカの軍事サイトの資料なのでリサーチミスか一時的な措置だったかもしれません。第14師団も連隊砲兵といって本来の砲兵連隊ではなく各歩兵連隊に属する小規模の砲兵隊(多くても大隊規模)のはずですが、こちらはペリリュー島守備のために師団隷下の歩兵第2連隊と歩兵第15連隊第3大隊を基幹とする中川支隊を抽出しているため、砲兵戦力を増強したのでしょう。

 見てみて驚いたのは思ったよりも九一式十糎榴弾砲(機動~も含む)が多い事。これは75㎜級の野砲では威力不足が指摘され各国陸軍とも105㎜級榴弾砲を標準装備するのが趨勢になっていたので日本もそれに追随したのでしょう。ただ完全に置き換えられなかったのは日本の工業力の低さなんでしょうね。とはいえ九一式は1000門以上生産されたので日本としては頑張ったほうだと思います。

 75㎜野砲に関しても九〇式七糎半野砲なら優秀なので対戦車砲にも流用できますが、おそらく大半が旧式の改造三八式野砲か、能力の劣る九五式野砲だったと思います。大砲の製造にも工業力が必要だと痛感させられる数値でした。

 ちなみに、近衛第1と近衛第3は数値が見つかりませんでした。本来の近衛師団は近衛第2師団で、他の二つは大戦中に泥縄で編成されたので大した戦力はなかったと思います。砲兵火力も下手したら三八式野砲以前の旧式砲かもしれませんし。

 

 

2019年11月 8日 (金)

大東亜戦争時、日本の野戦病院

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 非常にマニアックで申し訳ない。

 野戦病院とは陸軍師団に組み込まれた部隊です。戦場では戦死者も出れば戦傷者も出ます。重傷者は後方に搬送されて手術なり処置を施され入院し回復したら除隊したり再入隊したりします。ただ緊急を要する場合もあり、戦闘地域のすぐ後方である程度の処置をしなければ兵士が死んでしまいます。そこで野戦病院というものが師団に組み込まれました。

 日本の場合、野戦病院長は軍医中佐か軍医少佐。野戦病院の限界収容人数は200名程度。病院長の下に軍医、歯科医将校、薬剤将校、看護将校が付き、陸軍看護婦や日赤従軍看護婦ではなく衛生兵がその役目を担いました。それは戦場に近いため女性では危険だからです。

 通常3単位編制(主力の歩兵連隊が3個)の常備師団の場合3個の野戦病院中隊が設けられます。中佐や少佐が野戦病院長ですから大隊規模ですが、上の編制図をみると4個野戦病院中隊の他に、3個搬送中隊、1個防疫給水中隊が付いたようです。これは外国(アメリカ)の軍事専門サイトから持ってきたので、実際とは違うかもしれません。1個野戦病院中隊は300名前後みたいですね。

 アメリカ師団の資料が見つからなかったんですが、大東亜戦争で日本兵の傷病死が多かったのは医療設備が整っていなかったからという論もあるくらいですから、もっと大規模だったのかもしれません。第2次世界大戦時の戦場医療に関する専門書を見つけているんですがなかなか良さそうな本がなく、あくまでネット上で集めた薄い情報です。ですから今後資料を集めていく過程で情報修正が入るかもしれません。

2019年9月 4日 (水)

Su-27対MiG-29

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Su27

Mig29

 

 ソ連・ロシアの誇る第4世代戦闘機の両雄Su-27フランカーとMiG-29ファルクラム。現在では第5世第戦闘機としてF-22、F-35が登場したので色褪せましたが、それまでは西側のF-14、F-15、F-16、F/A‐18E/Fやユーロファイター タイフーンやラファール(最後の3つは第4.5世代)と堂々と伍する東側の雄でした。ロシアも一応第5世代と称するステルス戦闘機Su-57が登場しましたが、こちらは情報が少なくよく分かりません。

 ところでSu-27とMiG-29のどちらが強いのか、考えたことがある人も多かったと思います。普通は同じロシアの戦闘機ですから戦闘をすることはないんですが、その数少ない例としてアフリカのエチオピア・エリトリア国境紛争で両者の直接戦闘が起こりました。とはいえSu-27は長大な距離を飛行し敵地に侵攻して戦闘する制空戦闘機、一方MiG-29は前線で簡単な整備で運用でき、機動力を生かした防御戦闘を主任務とする要撃戦闘機ですから性格が全然違うことは間違いありません。

 1999年2月25日、エリトリア空軍のMiG-29 4機が国境付近上空を哨戒飛行していました。そこへエチオピア空軍のSu-27 2機が接近。エチオピア空軍のSu-27は配備間もなく、一説ではロシア人パイロットが操縦していたとも言われます。実はエチオピアとエリトリアの紛争でロシアはエチオピア側に肩入れしていたのです。エリトリア側がウクライナと仲が良いため一種の代理戦争になった形です。MiG-29のパイロットの一人もウクライナ人だったそうです。

 最初に発砲したのはエリトリア空軍のMiG-29。R-27(アメリカのスパローに近いセミアクティブレーダーホーミングの中距離ミサイル)を数発発射。ところがこれは全弾外れます。攻撃を受けたことを察知したエチオピア空軍のSu-27は引き返してR-27を発射しました。するとこちらも外れ。両軍はこのままドッグファイトに入ります。

 両軍はR-73短距離赤外線誘導ミサイル(アメリカのサイドワインダーに近い)を撃ち合い、そのうちの一発がエリトリア空軍のMiG-29 1機に命中、撃墜されました。これはパイロットの技量もあるでしょうし、その時の状況も違うと思います。しかもR-27はどちらも外れているわけですし。ただ世界のイメージ的にはSu-27が有利だと見られたようで、その後Su-27の方が商業的には成功しているようです。

 アメリカの場合も、イランに輸出したF-14トムキャットと自軍のF-14、F-15、F-16、F/A-18E/Fが対決する可能性もあったわけですからそれを考えると面白いですね。いや、人が死んでいるかもしれないので軽々しいことは言えませんが…。

 

 

2019年8月31日 (土)

ドイツ軍は何故ここまで凋落したか?

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 かつて第1次世界大戦でも第2次世界大戦でも一方の主役として精強を誇ったドイツ軍。一般の方も戦車王国ドイツ軍というイメージを持たれる方が多いでしょう。ところが近年ドイツ軍の戦闘力は目に見えて落ちています。

 空軍の主力、ユーロファイター タイフーン戦闘機は108機のうちまともに動けるのは10機も無いと言われています。稼働率90%を誇る日本の航空自衛隊から見ると信じられない数字です。予算不足からくるスペアパーツ不足から、韓国軍伝統芸の共食い整備までやっているという話も。NATO軍の任務である対露報復核攻撃を担う戦闘爆撃機トーネードIDSは老朽化で維持整備費に莫大な費用が掛かるという本末転倒な状態。

 さすがのドイツ空軍幹部も現状の悲惨さを憂い、トーネードIDSの後継にF-35A導入を検討しますが、メルケル政権の謎の妨害で頓挫、それに代わってF/A‐18E/Fスーパーホーネットが導入されそうですが本決まりではありません。スパホならトーネードIDSを補って余りある性能ですが、どうもメルケル政権は国防を真剣に考えているようには見えません。

 海軍も、主力の212型潜水艦が一時全艦行動不能という緊急事態になりましたし、最新鋭フリゲートとして鳴り物入りで登場したバーデン・ヴュルテンベルク級がしょうもない不具合続発でドイツ海軍は納入拒否しているという話もあります。もともと満載排水量7316tという巨体でありながら個艦防空が近接防空のRAMしかないのを見て大丈夫か?と心配していたんですが、大丈夫じゃなかったみたいです(苦笑)。前級のザクセン級のように艦隊防空のスタンダードSAM(艦対空ミサイル)とは言わないまでも、どうして個艦防空のESSM(発展型シースパロー)を搭載しなかったんでしょうか?船のサイズ的にそれほど負担になることはないと思うんですが…。国連主導の海外派遣に使うためとか世迷言をほざいてますが、そんなのは1万トン級の巡視船でも建造してやりやがれ!艦船の主任務は国防だぞ(怒)。

 陸軍もなかなか悲惨です。予算削減のあおりを受け主力のレオパルドⅡA6、A7も200両余りしかなく稼働率に至っては3分の1もないとの噂も。NATO即応部隊に指定されている第9装甲教導旅団ですら44両定数のレオパルドⅡのうち実際に配備されているのは9両、14両定数のマルダー歩兵戦闘車に至ってはわずか3両と、ドイツはNATOに協力する気が無いのかと呆れます。

 かつて栄光を誇ったドイツ軍がここまで凋落したのは、一つはNATOの拡大でドイツが最前線で無くなったことからくる危機意識の欠如があると思います。実際、最前線となったポーランド軍はF-16などアメリカ製兵器を導入し今ではガチでドイツと戦争すれば圧勝すると言われるほど。メルケル政権の経済至上主義、軍事に対する理解の欠如、加えて日本と同じく国民の平和ボケが大きいと思います。

 そして目立たない事ですが、ドイツ軍組織そのものの効率の悪さもあると私は見ています。というのも予算だけなら国防費5兆円前後と日本とそう変わらないからです。空軍と海軍が日本より規模が小さい分、本来なら陸軍は日本の陸上自衛隊以上に充実していないとおかしい。スペアパーツが不足しているなど近代軍隊ではありえませんよ。韓国軍じゃないんだから(呆)。

 人件費が馬鹿高いのか、不必要な部門に貴重な予算を取られているのか?ともかくドイツ軍好きの私としては何とかして欲しいの一言。これじゃマンシュタインもモーデルもグデーリアンも草葉の陰で泣いていますよ。

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